「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料記事】『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』青木 理 安田浩一 著 あとがき

 私と青木さんは取材者として歩んできた道のりも、追いかけてきたテーマも違うが、社会の排他と不寛容に対する危機感は共有している。

 いや、青木さんは誰よりもこの気配に敏感だ。視界に映り込んだ事象を端緒にようやく腰を上げる私とは違い、豊富な人脈と経験から、世の中のわずかな変化をも確実に捉え、警鐘を鳴らし続けてきた。エリート新聞記者だったくせに、指に唾を付けて風向きを読み、明日の天気を言い当てるベテラン漁師のようなところがある。

 そんな青木さんの鋭い分析から、私もこれまで多くを学ばせてもらってきた。今回も対談と言う形で、あらためて青木さんの深い洞察力に触れることができた。

 対談は、菅義偉内閣の発足直後、日本学術会議の新会員任命拒否問題が明らかとなったときの危機感から始まっている。以降、何度か議論を重ねて、話題は日韓関係、排外主義とヘイトスピーチ、沖縄の基地問題など多岐に及んだ。

 コロナ禍ということもあり、これをまとめる作業がスムーズに進んだわけではなかった。しかも、一通りの作業を終えた後にも政治は動き、社会は回る。

 たとえば私たちが疑念を抱えながら注視していた愛知県大村知事のリコール運動は、その後、大掛かりな不正事件に発展し、運動事務局の幹部らが地方自治法違反で逮捕されるなど、世間に醜態をさらした。

 運動をけん引してきた河村たかし名古屋市長と美容外科医の高須克弥氏は、不正を追及される過程で喧嘩別れし、互いに相手を非難するだけで自らの責任にはまったく触れない。河村市長は21年4月の市長選挙でかろうじて再選を果たしたが、過去に例のないほど対立候補に迫られた。

 あれほど熱心に運動を支援していた百田尚樹氏、デヴィ夫人らは、もはやリコール運動に一切言及することなく、何事もなかったかのような日常に戻っている。

 大言壮語する者ほど逃げ足は速い。民間人を放り出したまま中国大陸から逃走したかつての関東軍そのものだ。自称・愛国者はけっして自らの責任を語らない。

 米国の大統領選では当初の予想を裏切り、バイデン氏が勝利を収めた。ここでもまた、トランプ氏を支持していた日本の愛国陣営は、世界に恥をさらすことになった。集票機が不正に操作されていた、中国の人民解放軍が選挙に介入している、などといったヨタ話をまともに受けて、バイデン大統領が就任してもなお、陰謀論を振りまいていたのである。ジャーナリストが、評論家が、芸能人が、大真面目に陰謀論を語るさまは、滑稽どころか私は恐怖に近いものを感じた。底が抜けたような言論空間の劣化に、背筋が寒くなったのだ。

名古屋入管に収容中に死亡したスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(享年33歳)​

 入管法の改正問題で国会が揺れる中、名古屋出入国管理局の収容施設でスリランカ人女性が亡くなるという事件が起きた。病気で衰弱した女性に適切な治療を与えることなく、入管側が死に追いやったのだ。女性本人が外部の病院への入院や一時的に収容を解く仮放免を望んでいたにもかかわらず、入管側は詐病を疑い、おざなりな治療で、要するに重病の人間を放置したのだ。

 そこにもまた、愛国者の唱える美しき「ニッポン」の姿が浮かび上がる。在留資格の切れた外国人を犯罪者として扱い、人権も命も軽視する。難民認定率が1%にも及ばない排他的な国家の姿である。

 そんな社会を私たちは生きている。

 だが、先に触れたように、それでも私たちはまだ生き続ける。あきらめない。社会の不当を訴え続ける。矛盾から逃げない。ジャーナリズムの世界で生きる私たちの義務だ。

 負けたり、叩かれたり、落ち込んだりしながら、たぶんこれからも書き続けていくことになるだろう。私も、青木さんも。

 本書の刊行にあたり、私と青木さんの友人でもある編集者、高田功さんと向井徹さんのお力添えに心から感謝したい。高田さんは今回の対談を企画して面倒な段取りを引き受けてくれ、向井さんからは多くの刺激的な意見をもらった。

 また編集においては、講談社第一事業局企画部の皆さんが最後まで伴走してくれた。この場を借りて厚くお礼申し上げたい。

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