「生活保護の現場ルポ 2012」から変わらない日本の今を考える<2>
電話が鳴る。受話器を取ると怒気を含んだ男の声が耳に響いた。
「あんたら、人様の税金を無駄遣いしているんだろう」
ああ、またか。担当者はそう思いながらも努めて冷静に、そして穏やかな声で答える。
「どういうことでしょう?」
男はさらに声を張り上げた。
「怠け者なんかに金を出すなってことだよ!」
電話はそこで切れた。
東京都内の福祉事務所──。生活保護業務を受け持つケースワーカーがため息交じりに話す。
「あれ以来、この手の電話が急激に増えたんです」
人々の怒りの熱源は、いわゆる「河本騒動」にある。
人気お笑い芸人の母親が生活保護を利用していると女性週刊誌がスッパ抜いたのは、12年春のこと。のちにその芸人が「次長課長」の河本準一であることが明かされ、世間は騒然とした。
十分な年収があるにもかかわらず、母親に生活保護を利用させるとはなにごとか。不正受給じゃないのか。そんな非難の声が相次いだ。
これに押されるような形でメディアは連日、執拗に河本批判を展開し、ついには謝罪会見に追い込んだ。それだけでは物足りないと考えたのか、ワイドショーは「不正受給」の特集を組み、生活保護のネガティブな情報ばかりを流布させた。いつしか、生活保護を利用すること自体が「不正」でもあるかのような空気が熟成されていく。
矛先は生活保護行政にも向けられた。
いまなお全国各地の福祉事務所には、前述のような批判、非難の電話が数多く寄せられている。
「一連の報道によって、まるで生活保護が“ラクして儲ける“ための制度だと誤解されてしまったようなんです。つまりカネをバラまく役所がけしからん、というわけです。正直者がバカを見ることがないよう頑張ってくれ、といった“激励“の声も少なくありませんが」(前述のケースワーカー)
多くの場合、矢面に立つにはケースワーカーだが、ときに役所の電話交換を担当する女性職員がいきなり罵声を浴びせられることもあるという。
「河本騒動」は日本を覆う公務員バッシングの気分にも加勢され、「不正許すまじ」という人々の懲罰感情を大いに刺激したのだった。
「制度批判だけではないですよ」
そう漏らすのは都内の別の福祉事務所で働くケースワーカーである。
「受給者の不正を疑うような密告電話が急増したんです」
彼自身がこの数か月に受けた「密告」の中身は、たとえば次のようなものである。
・生活保護利用者の息子が公務員という噂がある。
・生活保護を利用しているひとり親家庭の母親に“愛人“がいるようだ。夜になると男がアパートに出入りしている。
・生活保護利用者の親族に上場企業の社員がいるらしい。
「以前から利用者が酒を飲んでいるとか、パチンコをしているとか、旅行に出かけた、車を運転していたといった通報はありましたが、やはり河本騒動の影響なのでしょうね。利用者の親族などを疑う声が圧倒的に多くなりましたね」
(残り 2153文字/全文: 3390文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ