「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

朝鮮で生まれ沖縄で死んだ、ある「慰安婦」の生涯 

 裴奉奇(ペ・ポンギ)さんが那覇市内のアパートで亡くなったのは1991年10月だった。いまからちょうど30年前のことだ。

 当時、近所に住んでいた金賢玉(キム・ヒョノク)さん(89)がアパートを訪ねたが、ドアを叩いても応答がない。市のケースワーカーに連絡を取り、家主立ち合いのもとでドアのカギを開けた。

 裴さんは布団の中で冷たくなっていた。

 「眠っているようにも見えました。実際、寝ている間に息を引き取ったのでしょう。床に乱れはなく、布団を首までかけて、穏やかな表情をしていました」

 金さんはそう述懐する。

 その数日前、裴さんの77歳の誕生日を一緒に祝ったばかりだった。金さんが作ったサムゲタンを、裴さんは喜んで食べていた。

 「大好物を口にして、それですっきりしたんですかねえ」

 時代に翻弄され、国家に虐げられ、屈辱を受け、それでもわずかに穏やかな晩年を過ごし、静かに生涯を閉じた。

 裴さんが暮らしていた那覇の前島地区を、金さんと一緒に歩いた。すでにアパートは取り壊され、こぎれいな住宅が並んでいた。

 そういえば、と金さんが漏らした。

 「あの人、花が嫌いだったんですよ。なぜかと聞いても『嫌いさあ』と答えるばかり。たぶん、その華やかさが、かえって裴さんを悲しい気持ちにさせたのかもしれません」

 人生において最も輝きに満ちるはずの季節に、裴さんは闇の中で過ごした。花を愛でる余裕もなければ、そこに自分の姿を映し出すこともできなかった。そんな生を強いられた。

 花にあふれた街で、裴さんは暗い記憶を抱えてひっそりと生きるしかなかった。

 南国の鮮やかな色彩も、可憐なたたずまいも、裴さんの生き様とは対照的だった。  

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