「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

【無料公開】佐渡金山は世界遺産にふさわしいのか(1)

■日韓双方の歴史否定派から弾かれた人々

 到着早々に私たちが向かったのは、島の南端に位置する宿根木集落である。

 レンタカーで海外沿いの道を走る。新潟港を出た際に降っていた雪は、大粒の雹に変わっていた。車窓に写る日本海は暗鬱な空の下で相変わらず不機嫌な表情を見せていた。


海岸沿いの道。幸いに積雪はなかったが、大粒の雹が車のフロントガラスに叩きつけられた。

宿根木海岸

 最初の目的地は宿根木の中心部に建つ称光寺だ。市の観光情報サイトによると、「1349年、佐渡最初の時宗寺院として開基」された古刹だという。

 私たちは同寺の住職、林道夫さん(76歳)に会った。

 
称光寺の山門

 林さんは地元・佐渡の歴史を調べ続けてきた郷土史家でもある。金山で働いていた朝鮮人労働者にも関心を持ち、補償問題解決のためにも奔走した。

 10年ほど前から体調を崩し、いまはベッドで横になる日が多いというが、この日は「わざわざ遠くから訪ねてきたから」と、私たちを快く迎え入れてくれた。

 朝鮮人労働者について調べようと思ったのは、東京都内の大学を卒業して島に戻ったばかりの頃。

 「寺の近くの酒場に寄ると、昔、金山で働いていた朝鮮人のおじいさんたちと出会うこともあったんだ」

 当時はわずかではあるが、まだ島内には朝鮮人の元労働者も残っていた。彼らの口から、つらかった重労働の話が漏れる。知らなかった佐渡の歴史が、声が、林さんの耳に刻まれる。こうした酒場での出会いを端緒に、精力的に記録を集めるようになった。

 戦時中、佐渡の金山では約1000人の朝鮮人労働者が働いていた。林さんは韓国にまで足を延ばし、元労働者との面会調査も重ねた。

 「もともとは農家の次男三男という人が多かった。佐渡の金山から人が来て、日本でいい生活できる、家族も呼べる、金山で面倒見るからと言われて鉱山労働者になった」

 金山で働いて「いい生活」が可能だったのか。わたしたちがそう問うと、林さんは即答した。

 「できるわけがない」


林道夫さん

 林さんが続ける。

 「実際、金山で働いていた人に話を聞けばわかることです。奴隷生活と同じだよ。日本語も満足にしゃべれない人たちだし、鉱山で管理者から言われた通りやるしかない。ろくな食い物もないなか、朝から晩まで坑内労働ですよ。江戸時代と同じだ」

 だが日本政府は韓国側が主張する「強制連行」ばかりか、「奴隷」的な労働環境であったことも否定している。

 「だいたい、鉱山労働で過酷じゃないところなんてあるわけがない。まあ、政府は自由意思で来たって言うしかないんだろうね。そりゃあ、形式的にはそうかもしれない。ただ、だまされてきてるわけですよ。わけのわからないうちに、国家権力が介入して連れてきたのだから」

 林さんは「ほんと、政府は馬鹿なこと主張してるんじゃないよ」と吐き捨てるように言った。

 県や地元が残した資料を集めれば、朝鮮人労働者に関する記述は容易に見つけることが可能だ。

 たとえば新潟県が発行した『新潟県史 通史編』。「強制連行された朝鮮人」と題された項では次のように記されている。

 政府の方針に従って、中央協和会が設置されると、これに呼応して新潟県庁内に知事を会長とする新潟県協和会が結成された。昭和14(1939)年のことである。これは周知のとおり「半島人」の民族性を徹底的に奪い去り、「皇国臣民トシテ同胞一体ノ実ヲ挙ゲルヲ」目的としたものである

 昭和14(1939年)に始まった労務動員計画は、名称こそ「募集」「官斡旋」「徴用」と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった

 (筆者注・協和会とは警察や役所を中心とする朝鮮人に対する統制機構。当時の厚生省の指示により各県に組織された)

 また、金山のあった相川町(現在の佐渡市)発行の『相川の歴史 通史編」でも、朝鮮人労働者の内実に触れたうえで、「佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行は、戦時産金国策にはじまって、敗戦でようやく終るのである」と記されている。

 同書では「朝鮮人と内地人の坑内労働職種の違い」にも言及している。それによると朝鮮人は「鑿岩(さくがん)」、「支柱」、「運搬」といった坑内の重労働に回されることが多かったという。そのうえで朝鮮人に坑内労働が課された理由として、当時労務担当だった人物による次のような証言を紹介している。

 「内地人坑内労務者に珪肺(※粉塵を吸入することで生じる肺疾患)を病む者が多く、出鉱成績が意のままにならず、また内地の若者がつぎつぎと軍隊にとられたためである」

 要するに、肺を病むほどの危険作業であるからこそ、朝鮮人労働者が坑内に配属されたというのだ。

 浮かび上がってくるのは朝鮮人労働者に向けられた蔑視と差別だ。

 それは社団法人・日本鑛山協會が1940年に発行した『半島人労務者ニ関スル調査報告』の「佐渡鉱山」項における次の記述にも表れている。

 半島人は如何なる作業に適するやに就きての感想  性来鈍重にして技能的才覚極めて低く、且つ研究心皆無されば、力業を主とする坑内搬夫の業務に適すべく、その中特に優秀なる者のみ充分訓練指導の上技能工として使用すべく努力中なり

 だからこそ林さんは元労働者たちの補償を政府に求め続けてきた。だが、韓国政府からも「日本をこれ以上刺激しないでくれ」と横やりが入り、そのうち元労働者たちも次々と鬼籍に入った。日韓双方の歴史否定派から、林さんも元労働者も弾かれてきたのだ。

 いや、島内でも林さんたち調査グループに対し「余計なことをするな」と顔をしかめる向きも少なくなかったという。

 「要するに、朝鮮人労働者がだまくらされて働かされたことを調査してもらったら困るって話さ。問題ほじくり返さないでくれ、朝鮮人労働者の話はするなとね。かつての鉱山関係者もそうだし、役所もそうだ」

 
『相川の歴史 通史編』より

 (2)に続く。

佐渡金山は世界遺産にふさわしいのか(2)

#NoHateTV Vol.159 – ㊗️世界遺産推薦決定 佐渡金山の真実

前のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ