「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

裁判所も「不十分」だと認めた産経新聞記事の問題点

■「誤報」や「名誉毀損記事」の取材手法

 池に投げ込まれた石を拾わずに、水面に浮かんだ波紋だけを寄せ集めて記事を書いた。

 ずぶ濡れになったとしても底に沈んだ石を取りに行くのが記者の仕事ではないのか。

 だからこそ裁判所も「基本的な取材を欠いた不十分なもの」と指摘するしかなかった。

 沖縄県宮古島市の元市議・石嶺香織さんが産経新聞記事で名誉を傷つけられたとして、同社に記事の削除と損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(古庄研裁判長)は228日、名誉棄損を認め、慰謝料11万円の支払いと記事削除を命じる判決を言い渡した。

 古庄裁判長は問題の記事について「真実と信ずるについて相当の理由があるとは認められない」と、その内容に誤りがあったとしたうえで「原告が被った社会的評価の低下及び精神的苦痛の程度は大きい」と判示した。

 この訴訟に関して私が注目したことのひとつは、記事を書いた記者の取材手法である。

 というのも、石嶺さんの名前を見出しに掲げた記事であるにも関わらず、実は、記事を書いた産経記者は、石嶺さん本人にまったく取材していなかったのだ。

 当事者に「当てる」のは、記者の基本動作ではないか。産経記者はそれを怠った。

 裁判所が判断するまでもなく、取材が「不十分」なのは瞭然たることだった。

 まずは、ことのあらましを振り返ってみる。


宮古島の海岸

 産経新聞のニュースサイト「産経ニュース」に「自衛隊差別発言の石嶺香織・宮古島市議、当選後に月収制限超える県営団地に入居」なる見出しのついた記事が掲載されたのは2017322日のことだ(翌23日には東京版紙面にも掲載)。

 市議が県営住宅に入居したことが問題であるかのような内容の記事だった。

 「唖然としました」

 石嶺さんは、表情をこわばらせて当時を振り返る。その頃、石嶺さんは市議となって約2か月が経過したばかりだった。

 「まるで私が不正行為をはたらいたかのような記事になっていた。事実誤認はもちろんですが、とにかく私を貶めたいのだという悪意を感じました」

 「唖然」とした理由は他にもある。先述したように、産経記者から一度も取材された覚えがないのに、記事を書かれたことだった。

 「直接取材はもとより、電話やメールなどによる確認もなければ、取材の申し入れすら受けていません」(石嶺さん)

 記事がネット上に掲載されていることも、知人からの連絡で知った。耳目を疑うあまりに唐突な報道に、当初は身を固くして時間をやり過ごすしかなかったという。

 石嶺さんの「不正」を匂わせながら、石嶺さん本人に当てることなく書かれた記事とは、具体的にどのようなものだったのか──。

 当該記事の一部を引用する。

 市によると、市議の月収は約34万円。石嶺氏には1月と2月の給与として2月21日に税などを引いた約62万円が支給された。県営住宅の申し込み資格は、申し込み者と同居親族の所得を合計した月収額が15万8千円以下とされ、石嶺氏は当選前の平成27年度の所得に基づき入居が認められ、今年(※2017年)2月に入居した

 記事はまずは前段で、安定した収入を約束された市議が、基準に反して県営住宅に入居したかのように問題点を指摘した。

 さらに次のように続ける。

 仲介業者が市議の月収を確認し、資格より大幅に上回るため入居するか確認したところ、石嶺氏は「住む所がないので1年だけ入居させてほしい」と答えたという

 浮かび上がってくるのは、石嶺さんの利己的な弁解と、基準に反しても入居したいという居直りの姿勢ではなかろうか。少なくとも記事の目的の一つが、市議としての適格性を問うたものであったことは間違いない。

 この記事が出たことで、ネット上では石嶺さんを批判する書き込みが相次いだ。

 「詐欺罪で逮捕しろ」「議員辞職すべきだ」といったものから、「反日」「売国奴」「過激派」「変態女」といった人格棄損、誹謗中傷の言葉が飛び交った。

 いや、それだけじゃない。

 記事掲載の翌日、石嶺さんが借りていた駐車場に、鉄柱の付いたコンクリートブロックが置かれた。車の出入りをできないようにするためのイタズラだった。すぐに宮古島警察署に連絡、男性警察官二人が駆けつけてくれたが、コンクリートブロックは彼らがようやく引きずることのできる重さだった。

 後述するが、同市で唯一の女性市議だった石嶺さんは、その政治信念や姿勢をめぐって、それまでにも多くの嫌がらせや批判を受けてきた。「ですが、産経記事は事実に基づかない内容であるという点で、それまでとは大きく異なりました」と話す。

 市議として住所も公開されているため、脅迫じみた文書が投函されることも「日常」となった。

 「もはや、自宅すら安全な場所ではなくなったんです」

 記事はネット上の様々な媒体に引用、援用され、石嶺さんは「不正をはたらく市議」という印象だけが流布されていくのである。      

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