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東海学園大 鈴木保監督 インタビュー “ラストイヤーを目いっぱい楽しむ”

東海学園大は昨年春に二部リーグで優勝し、入替戦で愛知東邦大を破って2022年春以来の一部リーグ昇格を決めます。2年ぶりの一部となった秋は開幕戦で春優勝の中京大を破ると、その勢いのまま勝ち点を獲得。結局一部での勝ち点はその1つだけとなりましたが、強豪がそろう一部で4勝9敗と健闘。秋の入替戦では名古屋学院大を破って残留を決めました。

今年は鈴木保監督にとっても特別な1年。鈴木監督の特徴である威勢のいい受け答えを、できる限り再現しながら、昨年の振り返りと今年にかける思いを伺っていきました。

東海学園大 鈴木保 監督

〇2024年の振り返り

-昨年は2年ぶりの一部昇格があり、秋は一部で戦い抜きました。振り返っていただくといかがですか。

鈴木保監督(以下鈴木):みんながよく頑張って持っている力を出してくれた。春は二部をしぶとく勝ち切った。秋は一部で、もうちょっと頑張ればあと1つ2つは勝てた試合もあったんだけど、そこはまだ力の無さ。

若い選手を使えたのは良かった。ショート中山(絢斗・島田商 2年)、キャッチャー堀江(大和・健大高崎 2年)、指名打者の山崎(颯一朗・鈴鹿 3年)。これが今年に生きてくる。ピッチャーは加藤希(至学館 3年)が頑張った。それ以外のピッチャーがどうなるかわからない。経験値がないから。そこだけだと思う。今年さえ一部で乗り切れれば定着できるのではという手ごたえはある。
ただ、高橋(一壮・東海理化)という絶対的な勝てる投手がいないわけだから。ピッチャー陣が力を合わせて踏ん張れるかが勝負。1年生の新人も使いながら乗り切りたい。

正捕手として引っ張ることを期待される堀江大和選手(健大高崎 2年)

-野手は去年とほとんど変わらないかなと思います。

鈴木:その面で課題はピッチャー。今年もほかのチームはみんな強いから。うちが一番弱いんだけど、ここを乗り切ったらかなり力が付くんじゃないかな。
うちは性格的に素直な選手が多い。主力の選手がよく練習をやっています。その分だけみんな伸びている。1つでも2つでも(相手チームを)食えるかどうか。

-鈴木監督は今年で定年とお聞きしました。

鈴木:そう。今年まで。それは決まっているからそのあとのことも考えて準備も進めている。秋のリーグ戦が終わったらやめる。だから毎日がカウントダウンとなるから暗い顔をして野球をやりたくない。練習も面白くない顔をしてやりたくない。負けてうまくいかないときがあっても、それはそれで対応していけばいい。俺が面白くない顔をしていたら選手も面白くないじゃん。もったいない。

-過ぎていく日は速いですよね。

鈴木:あっという間だよ。今までだったら、一部から落ちたらどうしようとか、厳しいなとか、悪いことも考えた。今年はもう最後だからだめならだめで秋に頑張ればいい。毎日、面白くない顔をしたり暗い顔はしないと決めてやっています。

〇鈴木監督の経歴は?

-鈴木監督の経歴を教えてください。

鈴木:指導者になって弥富高校(現・愛知黎明)で17年。東海学園大で23年。ちょうど40年か。きりがいい。

-現役はどちらだったのですか。

鈴木:愛知高校。秋田県から愛知県に来たから、野球留学の走りだよな。愛知高校ではキャプテンもやったよ。

-愛知高校の選手の時のポジションは。

鈴木:ショートで3番を打っていました。

-当時は愛知5強(私学4強プラス愛知高校)の頃ですよね。

鈴木:もちろん。60回大会で優勝の中京(現・中京大中京)が武藤(哲裕・明治大)、栗岡(英智・元中日)の時。選手権大会でPL学園に逆転で負けた時だった(逆転のPLの始まりと言われている)。愛知大会ではうちと中京の2強だったんだけど、当時2年生だった東邦の“バンビ”坂本(佳一・法政大)に準決勝でやられた。
前年の秋はくじ運が悪くてベスト8で中京と当たった。4-3で負けたけど、それ以外は全部、中京は圧勝していた。夏も絶対に中京とやって今度は勝つぞと言っていたんだけどその前の東邦にやられたよ。

-そこから中京大へ進学します。

鈴木:将来、高校の監督になることを目指して、教員になるために中京大に進んだ。スポーツ推薦ではなかったから硬式には入らずに先輩から誘われて準硬式に入った。当時の準硬式は100人以上部員がいて、すごくしっかりと練習していた。

-当時の中京大の準硬式も強かったんですね。

鈴木:リーグ戦で負けたことないよ。全部優勝だった。

〇指導者として弥富高校から東海学園大へ

-中京大を卒業したあとどういう流れで弥富高校へ行くことになったのですか。

鈴木:もともと、大学卒業後は指導者へ、という流れだったんだけど、その話があるタイミングで無くなって、一般企業に就職しました。そこが今度は1年で倒産。それから2年間浪人。アルバイトをしながら採用試験の勉強をやっていた。そのタイミングで弥富の金城孝夫監督に声をかけてもらって、指導者人生がスタートした。

-金城監督も中京大出身ですよね。

鈴木:準硬式の先輩でした。大学生の頃から金城監督のところには手伝いに行ったりしていました。もしあのまま卒業して指導者として行っていたら、俺はめちゃめちゃ横柄な人間だったと思う。お前らなんでこんなことできないんだ、とね。選手の時は1年から試合に出ていたし、大学でも2年から準硬式のジャパンに入った。できない選手の気持ちが分からなかったと思う。弥富にいって、技術的にまだまだな連中をどうにかしなきゃいけない。どうやって理解させて、レベルを引き上げるかが監督、コーチの力量。金城監督にはその時、徹底的に叩き込まれた。至学館の麻王(義之)前監督や菰野の戸田(直光)監督も一緒にやっている。みんな甲子園に行っているよね。金城監督の下でたくさん学んだよ。

-弥富の時の思い出は

鈴木:いっぱいありすぎて。よく練習したなと。

-弥富高校では監督を何年やられたんですか

鈴木:コーチで12年。監督で5年。監督をやっている間はベスト8以上が3回。何とかベスト8は行こうと頑張っていた。

-甲子園に行ったとき(2001年)は監督として何年目でしたか。

鈴木:監督4年目かな。甲子園行って1年経ってやめたから。

-あの甲子園出場は奇跡と言われました。

鈴木:あれはドラマ。本当にドラマ。野球の神様がいたと思う。でも選手たちの練習量は半端じゃなかった。俺がやらせたんじゃないよ。高校生が自らやるんだから。俺はそんなにこれやれ、あれやれとは言わなかった。監督にやらされるようでは絶対に勝てないと思う。
先輩たちを見て自分たちで練習をすることが伝統になっていた。いくら弱くてもベスト8には絶対に行かなきゃいけないという思いでやっていたみたい。

-昔の高校野球は監督が指示を出してトップダウンで練習をすると思っていました。

鈴木:それが普通だったし、高校野球ではもちろん必要だけど、それだけでは絶対に勝てないと思う。大学生も同じことが言えるけど。

-いい選手をいかに集めて、と現在の高校野球はなっていると感じます。

鈴木:大学野球でも一緒ですよ。そんな中、うちにはそこまですごい選手はいない。みんな練習を一生懸命やって伸びてくれる。言うと響いてくれるし。こういう連中と野球をやるのが宿命だったんだよな。

-東海学園大に来ることになったいきさつは。

明るい雰囲気で選手に声をかける鈴木保監督

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