BUBU’S EYE

教えてみんなの夏物語(7/14更新)その5・6

X(旧・Twitter)で募集を始めました、

https://x.com/_bubu3/status/1810873743239159826
コメントに書いても大丈夫なはず。あなたの夏物語(インターハイにまつわる)話を教えてください。

教えてみんなの夏物語

今でこそ高校バスケットボールの最高峰はウインターカップだけど、今でも夏で引退する高校生も多い。

全国大会に出場する人だけが高校バスケじゃない。その裏にはインターハイを目指した日々の練習、ケガとの戦い、汗、涙、笑い、感動、友情、絆、恋愛、親の応援などなど数えきれないほどのたくさんのエピソードがあるはず。

今年のインターハイに限らず、高校時代のあなたの夏物語を聞かせてください。

この投稿につなげるか、下の「私の僕らのインターハイ」のハッシュタグをつけてもOKです。それも恥ずかしいという人は、方法を考えます。

 

#私の僕らのインターハイ

#高校バスケ
#BUBUSEYE
#拡散希望
夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

その6

ジン(川端淳子)さんからの投稿。これまた知らなかった事実を教えていただきました。

前年初戦敗退後の練習、壮絶だったことでしょう。多分、私見てました。

 

1999年岩手の夏

 

あの日以上に清々しい夏は後にも先にももう来ないと思う、

1999年岩手の夏。

 

振り返れば地獄のような夏だったその1年前。 古豪と呼ばれたインターハイ常連校の薫英女学院が、

インターハイ初出場、のちの日本代表で活躍する立川真紗美さん率いる市横須賀商に初戦敗退。

 

 

何かを変えなければいけないと、異例ではあるものの、夏の終わりに新チーム体制に切り替え。

2年生の私たちがキャプテン副キャプテンを務め、気合を入れ直す1年がスタート。

短大の先輩や実業団の方々に胸を借り、練習を重ねる日々。

私たちはどのチームよりも練習していたと思うし、

 

それが実を結び新人戦がスタートしてからは公式戦負けなしだった。

 

 

そして迎えた1999年の夏。

大神選手(現トヨタ自動車ヘッドコーチ)率いる絶対王者、

桜花学園と対戦したのは準決勝。

前半戦はほぼ互角の闘いで折り返すも、地力に勝る桜花学園に後半突き放され敗退。

 

 

 ただ昨年の敗退とは違って、チーム一丸となりあの時ある力の全てを出し切り

ぶつかった感覚があって、悔しい気持ちはあるものの、なんだか清々しかった。

試合終了のブザーが鳴って整列した時、みんなが笑っていた気がする。

負けて笑うことができたのは初めてだった。

 

 

あの夏につかみ取った全国3位の称号は今でも私の誇りです。

#私の僕らのインターハイ

 

 

夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

その5は、No15さんからの投稿です。

そうそう、あまずっぱいお話待ってました。核心にふれてないのでもやもやしますが(笑)


神戸の思い出

あれは昭和最後のインターハイ。 場所は神戸。

同じ宿舎に地元のK学院後のN工監督となるS田マネと同部屋でした。

地元K学院はさすがに地元で差し入れが多かったらしいが、途中で負けてしまって、

 

「N工さんはどうせ最後まで残るでしょうから食べてください」と差し入れが…

その時に来たMマネージャー。その時は差し入れだけもらって終了。

 

ウインターカップの時にK学院の方からお声がけいただいて

『M先輩からです』とお手紙をいただいた。

 

内容はもう忘れてしまいましたが、自分が年下でしたね。

1年は大学生と高校生だったので再会するチャンスもなく、

 

大学でも結局試合会場や時間も違っていたので再会はなかったです。

そのまま手紙や電話などで連絡は続けていた矢先、 阪神・淡路大震災当時も神戸住まいだったことから、

安否確認もできず。 やっとのことで連絡がついた時は嬉しかったかなぁ。

 

ナショナルチームでも復興支援で神戸へ行くことになり、そこでやっと再会となりました。

その後はなんとなく疎遠でしたが、SNSの力で共通な友人から再会することもできましたが、

 

お互いいい大人になってました。

どこからか聞いた話では、Mさんは中学時代ファンクラブができるほどのモテモテだったことを伝えて、

淡い青春時代は終わりにしたいと思います。

#私の僕らのインターハイ

夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

その4

拗ねらせキャプテンさんより。

 

せつない思い

自分の引退試合を一言で言うと
葛藤
ですね。
2年時ヘルニアで入院、
そしてリハビリを経てコレから復帰してチームの為にバリバリやろうって時に
同学年のメンバーが全員退部。
1人残り続ける決心をしたものの 、やる事なす事すべて上手くいかず
ただただ後輩たちには申し訳なく
だが素直になれず、 顧問とも取っ組み合ったり 仲間としっかり向き合えなかった。
最後までやり通しはしたが 本当にチームを考えていたら、
残るべきか、
辞めるべきだったか?
未だに自問自答してます。
答えは出てません。
ただ後輩たちにもし逢えたら謝りたい。
閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題
BUBU
うわー、ヘルニアで入院レベルって相当痛かったでしょう。さらに同期がいなくなるなんて… おいくつのかたかわかりませんが、OB戦みたいなのがあったら、
今なら後輩のかたとぶっちゃけトークができれば、当時な自分もスッキリするでしょうが。
そんな日がやってくることを願います。
拗ねらせキャプテンさん
初めまして。 現在43歳の代です。
あきたの県南の高校でした。 先輩にも後輩にも逢いたいですね。 そして辞めてった同級生たちにも。 先生にも。
夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

その3

一番最初に呼びかけに反応してくれたTaro04さんの投稿です。

 

インターハイは今なおツマミ

 

自分が高校生の頃は、まだ全国大会といえばウィンターではなく、総体でした。

 

新人戦もウィンターも県1位。

でも1番行きたかった総体は届かず。

 

 

1番目指した物だけが手に入らなかった思い出は、いつまでも仲間同士で呑む際の、良い酒のツマミです。

 

 

閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題・・・閑話休題

BUBU

あー、ツマミになりますよね。あるある(笑) もしかしてまだウインターではなく春の選抜世代? 手に入らなかったからこそ尊い。 息子さんのスキルすごい。試合を想定したヘッドアップと周辺視野が保てるようになればさらに完璧ですね。魅せるより見えるほうがカッコいいと思います。

 

Taro04さん

ウィンターは冬の東京開催ですが、2002年は異例の1月開催で世田谷学園と日体大の体育館で試合しました。

息子へのアドバイスありがとうございます!本人にも伝えます! 今は県外のクラブチームで本当のバスケを教えてもらってます

 

BUBU
あー、私学習院大にいました。ものすごく寒かったですよね。調べたら、まだウインターカップ2002の公式サイトでデータとかBOXSCORE残ってましたよ。

 

Taro04さん

そうなんです。正月の2日に東京入りで、高速大渋滞でした。

なのでその時の話や、夏にお前が足つったから負けたとか、あそこでお前がファールするから負けたとかが、今も酒のツマミです(笑)

 

夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

その2

白井憲ニさんからすごい体験の投稿をいただきました。

 

北海道インターハイ1987

 

男女で開催地が異なったインターハイ。

男子:札幌、女子:恵庭、兄弟で出場することができた大会でした。

男子は九産大九州が優勝 女子は名短付が優勝 ※ネタバレになりそうですが、優勝チームに敗退。

 

印象に残ったことは3つ

 

1.開会式が寒すぎて(たしから18度くらい)トレーナーを購入したこと。

絶対に一番売れたはず。Tシャツよりトレーナーが売れたインターハイは後にも先にもないのでは 。10年前の引越しまで我が家にありました。

 

 

2.後の平成天皇が真駒内体育館に到着し、入場してきた時間に試合が中断し拍手でお迎え、

試合後に美智子皇太后と話をしたこと。

 

「練習は厳しいんですよね?」美智子様

「はい! 厳しく長いです」私

 

「バスケットボールは好きですか?」美智子様

「はい! 大好きです」

 

3.毎回洗濯場所に一番にいたのも、食事会場に一番にいたのも、能代工さんだったこと。

あとお風呂では何故か色々な学校の、後の日の丸戦士らともワイワイ、ガヤガヤしたこと。

 

数年後に国体でも(いまは国体ではないですが)同じ地に行けたのも良き思い出です!

 

あ…年齢もバレバレで、学校も調べればわかっちゃいそうですが、ヨシとします!

 

#私の僕らのインターハイ

夏~~夏~~夏~~夏~~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏

 

その1

思い出したのが東京のIH予選での出来事です。

 

高校3年東京予選

あるSNSの投稿で、インターハイ予選の話になった。BUBU’S EYEのマイヒストリーにもそのうち出てくるのが、いつも東京予選で高校バスケの戦いかたを勉強していた。

 

当時は強豪ひしめく東京、インターハイベスト4のうち3つを東京が占めたこともある(安城インターハイ)。全国で最も登録チームも多い上、都予選の最後は決勝リーグ。3位までが本大会へ進む。トーナメントを勝ち上がり、リーグになると力以上に監督の采配のさじ加減が、ものをいう。当時は勝敗が同率で並んだ場合はゴールアベレージ差で決まる。最終試合で天国から地獄に落ちるまたは逆パターンになることなんてケースもさらだった。

 

当時K高校のキャプテンだった◯◯◯くんがコメントしてくれた。

「このような素晴らしいチームがたくさん登場してくるインターハイ。高校生の試合が一番熱くなります。うーん、何十年前を思いだしてきた笑」

 

◯◯◯のチームは最後に地獄から一転優勝と天国組。話を聞きに行くと、しばらく無言、

◯◯◯の目から涙がポツリ。

 

泣いたのは初めて見るシーンで、ドキ。

その話をすると。

 

「あれ、自分泣きましたっけ。高校3年時は確かによく泣きました。松山IHのフリースローから国体までしばらく立ち直れなかったのは覚えてます」

 

ちなみに、引退がかかっていたこの試合に長い間家族で食事にも行けなかったので試合後食事に行こうと(負け前提)

応援に来ていた親は先生と祝杯をあげに行ってしまい、残された男子高校生たちはシェーキーズのビザ食べ放題に行ったとか(笑) 

時代だなぁ。

 

BUBU

~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~夏~~

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