「なんで自分なんだろう」ショックの1年前から「チームメイトと一緒にまたバスケできる」喜びへ。デロック(正智深谷4・3年)

PHOTO Yukie Yamamoto
グビノグン オサゼデロック(正智深谷4・3年・187㎝)
昨年ウインターカップ直前でドクターストップによりプレーをできなかった#4グビノグンデロックが今大会復帰。キャプテン番号#4のユニフォームををデロックのためにずっとあけており、奇跡の復帰をしたデロックと仲間たちの今大会にける想いに注目した。 高山西戦、ラスト5分を切って52-52とどちらに転んでもおかしくなかった。ラスト1分、チームキャプテン5飯島のスリー、さらに8早船のスティールで62-56と逆転勝利を収めた。 BB 実は、医者からバスケットをやることにGOサインが出たとデロックから成田先生に電話がきたときに隣にいたんだ。 でも、他の選手も知らないし、迂闊に話せる内容ではないので心の中で「デロック復帰できて良かったね」とおめでとうを伝えていました(笑) 飯島君にキャプテンインタビューした時も「デロックが帰ってきた時のために背番号4はあけてある」という話も聞いていたし。 https://www7.targma.jp/bubu/2024/08/11/post887/ ←そのインタビュー そもそも、去年のウインターカップに出てないところで私たちは知ったんですが、ドクターストップがかかって出られなくなったのはいつだったんですか。 ーーーー そうなんですか。去年の11月でした。ウインターカップはメディカルチェックしてないと出られない。それで、成田先生もいろんなところに連絡をしてくださって、順天堂病院に行って経過観察をしていました。検査している間も異常はなくて、家族にもそういう事例がないとわかって、やっていいですよと言われたのが8月17日で、すぐに成田先生に電話しました。 BB 成田先生がものすごく喜んでいたから「何があったんですか?」と聞いて「デロックが…」と顛末を知ったんです。 ーーーー 最初はさすがに9か月も動いてなかったから、軽い運動から身体ならし程度から始めてゆっくりと4週間ぐらいたってようやく練習できました。さらに対人の練習は3週間ぐらいかけて。プレイタイムも制限があって、途中日清ブロックリーグがあって、そこも徐々に少しずつ伸ばして、照準を今回のウインターカップに合わせてきました。ウインターカップ県予選の決勝でフルにプレイできました。

ようやく2人のキャプテンに。5飯島。PHOTO Yukie Yamamoto
BB 他の3年生の反応はどうでしたか。 ーーーー けっこうみんな喜んでくれました。 BB デロックは今どうしてるんですか? と聞いたら、「勉強している」とも聞いていました。1年の時から頭いいと聞いてました・ 一般受験するとも。 ーーーー はい、国立大を目指しています。 BB 次の対戦相手は…。 ーーーー 藤枝明誠です。勝負ですね。その先につながるか大事な試合です。 BB 先生から求められているものはなんですか。 ーーーー インサイドとアウトサイドのプレイを使い分けしながら得点にからむこと。マークしてくる相手がミスマッチの時はインサイドをします。ポストアップをして、相手のディフェンスが寄ってきたら、パスをさばいて味方にさばいてシュートを演出したり。ボールを運ぶときに、自分のマークマンを振り切ってアウトナンバーにしたり。 BB 目指している選手は。 ーーーー オールラウンドに。まだパスがうまくなかったり、スリーポイントシュートが安定しなかったりするんですけど、将来的にはリバウンドもディフェンスもできて、シュートも決められるオールラウンドにできる選手になりたいです。 BB コートに復帰した時の気持ちはどうでしたか。 ーーーー 率直にうれしかったです。またバスケができる! という気持ちにあふれていました。 プレイできないってなった時は「なんで自分なんだろう」とけっこうショックでした。 戻れるって聞いた時はすごいうれしくて、またいつもの普段のバスケやってる日常がもう来るな。 チームメイトと一緒にまたバスケってできるなっていう。 成田 靖コーチ(藤枝明誠戦後) BB デロック君が帰ってきて、よし、もう一回みたいなチームの雰囲気があったと思います。 そこでこの大会を先生自身はもうちょっとチーム力を高められる想定があったんですか? ーーーー デロックは9か月やってなかったので。今日スリーとかしてましたけど、シュート感覚がやっぱり戻ってないんですよね。 なので、デロックのペリメーターの中でしか点が取れないというところで、本当は3番だったり4番だったりというところもチャレンジしたんですけど、これ間に合わなかったですね。 デロックを2番でプッシュさせて起点を作るというところが精一杯てした。両ウイングに9加藤駿、8早船哉斗に打てというところだったんですけど、加藤が(ケガで)いなくなったことも、15佐々木寧にも言えたんですけど。 ても、よくやったと思います。