訃報 名将・尾崎正敏氏逝去(元日本協会会長・全日本監督・ユニチカ監督)忍者ディフェンス、エンデバーを考案。
訃報 尾崎正敏氏逝去
また一人、日本が誇る名指導者が亡くなられました。
尾崎正敏氏が3月5日逝去されました。享年93。すでに家族葬をすまされたとのこと。
1931年5月5日生まれ、岡山県出身。岡山操山高~早稲田大と選手として活躍。
大日本紡績(ユニチカ山崎~現・ユニチカ)で指導者に。
オールジャパン8連覇や日本リーグ初代女王など多くのタイトルを総なめにして、
ユニチカ監督としして黄金時代を築き上げた。
ナショナルチーム監督として、1965年には第1回アジア選手権で準優勝、1970年アジア選手権初優勝。
1974年アジア大会で金メダル、そして1975年コロンビア・カリで開催された世界選手権では日本女子史上最高の
成績となる銀メダルを獲得。翌年のモントリオール五輪にも出場、アメリカを破る快挙を演出。
身長にまさる海外選手対抗策として〝忍者ディフェンス〟などを編み出す。 協会会長に就任「エンデバー」と呼ばれる選手育成制度を考案。その功績は語り尽くせない。
監督としての主な戦歴
国内
全日本総合選手権大会・・・・・・・・通算15回優勝(8連覇含む)
昭和33年(1958)以降連続23年間決勝進出
全日本実業団選手権大会・・・・・・・昭和34年(1959)以降8連覇
日本リーグ・・・・・・・・・・・・・昭和42年(1967)以降8回優勝(7連覇含む)
国民体育大会・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)までに7回優勝
昭和39年(1964)から47年(1972)まで公式戦において無傷の171連勝
国際大会
昭和40年(1965)第1回女子アジア選手権大会(韓国) 2位
昭和42年(1967)第5回女子世界選手権大会(チェコ)5位
昭和45年(197の第3回女子アジア選手権大会(マレーシア)優勝
昭和46年(1971)第6回女子世界選手権大会(ブラジル)5位
昭和49年(1974)第5回女子アジア選手権大会(韓国)2位
昭和49年(1974)第7回アジア競技大会(イラン)優勝
昭和50年(1975)第7回女子世界選手権大会(コロンビア)2位
昭和51年(1976)モントリオールオリンピック 5位
昭和54年(1979)第8回女子世界選手権大会(韓国)6位
さすがに、直接取材させていただく機会はありませんでした。が、
日本協会会長になられてなんの大会か失念しましたが、国際試合で閉会式の時に
カメラポジションを探していると、目が合い手招きをされてご自身の足元で
撮りなさいと合図をくださり撮らせていたたいたことがあります。
お優しいかたでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
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