甲子園の申し子と呼ばれた男・岸潤一郎「全力でやったことは糧になる」。
ことしも夏の風物詩「甲子園」が開幕した。プロ野球選手のほとんどが高校野球を経験し、この舞台を目指してきた。甲子園出場を果たせた選手、念願叶わなかった選手がそれぞれいるが、彼らにとって「甲子園」はどんな意味を持ったのだったのだろうか。今月はプロ野球選手にとっての「甲子園」を中心にお送りしていく。(取材・文 氏原英明)
打球がセンターバックスクリーンのすぐ左に飛び込んだのがわかると、岸潤一郎は2度、拳を作った。
8月4日の西武対オリックス戦。2−2の同点で迎えた9回裏に飛び出した劇的な幕切れのソロ本塁打は、今季の外野陣では割と遅い方に昇格を果たした男の一打によるものだった。
「出塁することだけを考えて打席に入りました。最近、フェンスの前で打球が取られることが多かったんで、全力で走っていました。サヨナラ本塁打は(人生で)初めてなので気持ちよかったです」。
ヒーローインタビューでの饒舌な語り口は彼の野球脳の高さを如実に表している。チーム内の立ち位置はユーティリティプレイヤーとしての走・攻・守のお助けマン。随所でチームを助けるプレーには彼の野球IQの高さを見せつけている。
もともと岸は、甲子園の申し子とも呼ばれた“高校野球界のアイドル”だった。
明徳義塾高校1年夏から甲子園に出場。投手兼4番として活躍。4度の甲子園出場経験がある。2年の夏には、去年までのチームメイトだった森友哉(オリックス)のいた大阪桐蔭の夏2連覇を阻んでいる。3年夏には同期の岡本和真(巨人)擁する智弁学園にも勝ったし、高橋光成(西武)や小島和哉(ロッテ)らとともに、高校ジャパン入りを果たしている。
しかし、そんな高校時代は華やかな成績も大学は中退して、独立リーグを経ての入団という異色の経歴の持ち主だ。
甲子園の申し子に何があったのだろうか。
「大学の時に、トミージョン手術をしました。お医者さんからは靭帯が切れているわけではないから、手術しなくても復帰することは可能と言われたんですけど、そのころは試合に出ていなかったんで、この期間を使ってちゃんと治そうと思って手術をしました」
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