【編集長コラム】増田達至の引退試合で再確認した我々が見ているのは”氷山の一角”。
クリスマス・イブが明けると一気に年越しモードに入る。
2024年がまもなく終わろうとしている。
今年も取材に協力してくれた選手、場所を設けてくれた球団スタッフ、連盟の皆様、そして何よりこのウェブマガジンを楽しみにしてくれた方々に深く御礼を申し上げたい。
全ての存在がいなければ実現しなかった。
いつも、1年間を振り返って自分の記事を読んで思うのは「僕はすごい記事を書いた」という達成感より「僕はいつの間にかこんな記事を書いていた」という驚きの方が強い。
これはどういうことかというと、つまり、僕はずっと必死だった。
その時その時、どんな思いで書いたなんか覚えてなくて、とにかく、誰かに伝えたい。その誰かというのは社会であったり、ファンであったり、指導者だったり、チーム関係者だったり色々するわけだけど、「感動させてやろう」なんて余裕は僕にはない。とにかく、必死にその時の想いを大切に「誰か」に届けている。
多分、僕は記事は書かせてもらっているんだろうと思う。変な記事は書いていない。それだけは自信を持って言える。
これから年末まで、この1年を振り返って、もっとも読まれて記事をランキング形式で配信していきたいと思う。ひょっとすると、このウェブマガジンの存在を知るのが遅くて、その記事を読んでいない人だったり、読み落としていた人もいるかもしれない。改めて読んでもらう意味でも振り返っていこうと思う。
ただ、その前に、今年1年の取材の中で、僕にとってすごくダイレクトに響いた出来事があったので、その話をさせてもらいたい。
それは今季限りで現役を引退した増田達至選手のことである。
実は筆者は彼の引退試合の日、取材者としてではなく、一人の観客としてその勇姿を見守っていた。
僕が関西からこちらに引っ越してきたのが2013年だったから、増田投手のルーキーイヤー。色々重なる思いがある選手だった。
節々で取材をさせてもらってきたが、増田投手から感じたのは感情を表に出さない選手という印象だ。それはクローザーを務める上では最も重要な要素の一つで、長くコンビを組んだ炭谷銀仁朗が「打たれても引き摺らないのがマスのいいところ」とも話していたことがある。
だから、闘志は内に秘めるタイプの選手とずっと見ていた。
抑えても、打たれても、変わることのない彼の立ち振る舞いには「強さ」を感じていたものだが、ただ、それは性格的なもの。「内に秘めるタイプ」というのが彼の持ち味であるように思えた。
引退試合の日、彼の最終登板を見届けた後、セレモニーが始まった。
本人の言葉はもちろん、長男さんのスピーチに筆者は心が震えた。
彼はこんなことを口にした。
「僕が生まれた日、僕は718グラムで生まれ、多くの医療従事者の方の力を借りて蘇生され大変だったそうです。決して『おめでとう』と言える状況ではなかったと聞きました」
出生当時の状況が普通ではなかったことを話し、その後の経緯や両親への感謝の口にした後、彼は結びの方でこういったのだった。
「そんな僕は11歳になりました。僕は物心がついた頃から野球が日常の中にあり、埼玉西武ライオンズと共に生きてきました」
感動をしたのはもちろんだが、同時に、増田がいつもどんな気持ちでマウンドに立っていたのだろう。それこそ、長男が生まれた時から。。。と考えたのだ。
闘志を内に秘めるタイプの増田は多くのことを口にしない。長男さんと同じ病気を患った子のための寄付を彼はしていたが、それをどうこういうわけではなかった。
だが、彼はその背中で、なんとか救いたいという思いで腕を振っていたことを思うと、「内に秘める」という本質には人として大事なことがあるという思いに駆られたのだった。
我々は日々、いろんな人と接している。僕はジャーナリストなので、それがプロ野球選手であったり、アスリートであることが多いけど、それ以外にもたくさんの人物と触れ合っている。そして、何かしらの印象を持つ。それはいい意味でもなく、悪い意味でもなく。
ただ、それはその人を映し出す氷山の一角に過ぎないということである
色々な様子が伺えるけど、それはその選手の全てではない。
増田投手の引退試合を見て、そのことを学んだ。
日頃はもちろんのことだが、取材活動をする中で、そのことを忘れないでおこうと思う。
闘志を内に秘めるタイプ。
僕の増田投手の印象は変わらない。しかし、その本当の想いは僕が知ることができないもっともっと深いものなのである。(取材・文 氏原英明)