京滋ベースボールパーク(KBP)

センバツベンチ外からドラフト候補へ 佛教大・赤木晴哉が伝えたいこと

3月18日に開幕する第97回選抜高等学校野球大会。高校球児にとっては憧れの舞台であり、出場できることはこの上ない喜びだ。

しかし、甲子園に出るようなチームはどこもメンバー争いが熾烈。チームがせっかく出場権を掴んだのに自身はベンチ入りを果たせず、悔しい思いをする選手は決して少なくない。

4年前に4強入りした天理にもベンチ入りメンバーを外れ、アルプススタンドから仲間を応援していた3年生がいる。その名は赤木晴哉。高校時代は目立った実績を残すことができなかったが、佛教大に進学してから頭角を現し、今年のドラフト候補に名を挙げるまでに成長した。

当時の彼は何を思い、その後の成長に繋げていったのか。4年前の思い出を振り返りつつ、同じ境遇の高校球児にエールを送ってもらった。

 

プロフィール

赤木晴哉(あかぎ・せいや)

2003年10月5日生まれ。大阪府堺市出身。190cm 、86㎏。右投右打。投手。天理高では3年春と夏の奈良県大会でベンチ入り。佛教大では2年生から先発の一角を任されるようになり、昨秋のリーグ戦では最優秀投手賞のタイトルを獲得した。

怪我に苦しんだ高校野球生活

赤木は中学時代に大阪狭山ボーイズでプレー。2年生の秋に試合をした際、相手チームに天理志望の選手がいたこともあり、当時の中村良二監督(現・大阪学院大監督)が視察に訪れていた。そこで結果を出したことで、中村監督の目に留まった。

それがきっかけで天理に入学。同期には日本ハムからドラフト1位指名を受けることになる達孝太がいた。「達は高校に入った時点でちょっと抜けてるなと思ったんですけど、それ以外は横一線かなと思っていました」と入学時点では自信がないわけではなかった。

しかし、入学早々から怪我に苦しむ。1年生の6月に腰椎分離症を発症。その年の秋に復帰したが、2年生の秋季大会前に再発をしてしまい、冬までは練習ができないという診断を受ける。

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