今の日本が必要とするもの-ACT UP 2(松沢呉一)-2,630文字-
「怒りが社会を変える-ACT UP 1」の続きです。
「怒りを力に」が作られた理由
映画「怒りを力に―ACT UPの歴史」は、小説家であり、自身、ACT UPのメンバーでもあるプロデューサーのサラ・シュルマンが、エイズに対する偏見、ゲイに対する偏見が自然となくなったかのように見る風潮に抵抗するために作られました。
その目的のため、当時闘った人々のインタビュー「The ACT UP Oral History Project」をスタートさせ、それがこの映画の元になっており、この作業は現在も続けられています。
英文ですが、以下をクリックすると160人を超える人々のインタビューが読めます。
亡くなった人も、生き残った人も、80年代に命を賭して闘ったから、治療薬の認可が早まり、値段が下がり、感染者のケアも広がったわけですが、同時にその存在を可視化させる役割を果たしました。このことが顔を出し、名前を出して行動する人たちを激増させ、さまざまな行動につながっていきます。
HIVが死なない病気になったのも、米国だけで10万人を超える犠牲があったためであり、死を前にして闘ったためであって、その根源にあったのは怒りです。祈り、願うだけでは決して実現しなかったでしょう。
ACT UPの意味
映画では、具体的にはほとんど描かれていないですが、彼らの闘い方に対する反発も当然あっただろうと思います。
駅や路上を占拠する。エイズで亡くなった人々の遺灰をホワイトハウスにばらまく。デモに遺体を持ち込む。こういった方法は反発を招き、偏見を加速しかねないですが、抗議をするため、現実を知らしめるためにACT UPは非暴力のあらゆる方法を選び取りました。
これが社会を変えたのです。「デモや抗議では何も変わらない」と言いたがる人々は、この映画を観ろ。そして、現実に向かい合え。
団体名ではなく、動詞としてのACT UPという言葉はこの映画では「派手にやる」と訳されています。単に「行動する」「立ち上がる」ではなく、もう少しイカれたニュアンス。「騒ぐ」「暴れる」といった意味が込められていて、「派手にやる」という訳は的確かと思います。
「路上で騒げ」「騒いで抵抗せよ」ということでしょう。大衆の支持など最初からない場合、そうすることがもっとも有効だったわけですが、有効じゃなくても彼らはそうしたに違いありません。やむにやまれぬ行動です。
今現在の日本で、具体的な方法までがそのまま通用するわけではありませんが、「怒りで連帯する」「路上で声を出す」「騒いで抵抗する」という考え方こそ、今の日本では必要なのではないか。
デモができる社会はそれ自体に意味がある
3.11以降、この日本の社会が獲得したものがあるとすると、路上で派手に意思表示することが少しは日常化したことにあります。これができることが民主主義。
柄谷行人の言葉。
私はデモに行くようになってから、デモに関していろいろ質問を受けるようになりました。それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「デモをして社会を変えられるのか」というような質問です。それに対して、私はこのように答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。
名スピーチかと思います。
デモができる社会と、デモさえできない社会とどちらが民主主義を実現しているのか。前者に決まってます。だったら、民主主義の維持、民主主義の実現のためにデモするべ。
私もこれと同じようなことは3.11以降何度か書いていて、『デモいこ!』でも書いています。
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