孤立を強いられる人びと-老害シリーズ・犯罪編 3(松沢呉一) -2,615文字-
「老人がキレる理由はこれだ!-老害シリーズ・犯罪編 2」の続きです。
携帯電話はなぜ電車内で嫌われたのか
今ではゆるくなってますが、電車内で携帯電話を使用することがマナー違反とされていた頃、「心臓ペースメーカーが狂うのは古い機種だけで、今現在はそんなことは起きないのに、どうして人はそうも携帯電話を電車の中で嫌うのか」を論じたことがあります。
わかりやすく言うと、「儀礼的無関心」を筆頭とした、意識されにくいルールに反するってことかと思います。電車という閉鎖された空間で成立する仮初めのコミュニティのルールに反するのです。
新聞もいい。雑誌もいい。本もいい。寝ていてもいい。話をしていてもいい。窓の外を見ていてもいい。化粧は微妙、飲食も微妙、そして、電話は許されない。これらはそれぞれにルールに反する。
携帯電話は、そのコミュニティに属する人が、自分だけよそとつながってしまう。これがルール違反になる。皆で楽しくパーティをやっているところで、あるいは真剣に会議をやっているところで、携帯電話がかかってきて、その場とは関係のない話で盛り上がっている人がいると気に障る。その薄い感覚が「電車コミュニティ」でも生じるのです。
電話は声が耳に入ってきて不快ということもあるわけですが、電車内にいる人たち同士が大きな声で話していても、それほど不快ではない。つまりは、声、言葉自体が決定的なノイズになるわけではないのです。
人がつながる社会でつながれなくなった層
こういったルールは場によって厳密さが違ってきて、電車のホームと車内でも違う。新幹線と山手線でも違う。時間帯によっても違います。混み合っているほどルールは厳密になります。
以前、携帯でメールをやっている若い女子をじいちゃんが怒鳴っていたことがあります。「携帯をやるな」と。女子は「携帯じゃなくて、メールです」と反論してましたが、じいちゃんはいよいよキレて、女子はやむなく携帯をしまってました。
ペースメーカーに異常はなくても、じいちゃんは心臓発作を起こしそうなくらいに怒ってました。話しているわけでもないのに、そして、その老人はおそらくペースメーカーを使っているわけでもないのに、なぜそうも怒るのかと言えば、自分が関与できないところで人が車外とつながっていることを許せないのです。
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