ばか騒ぎバンザイ-ゴミと公共心 4-(松沢呉一) -2,263文字-
ハロウィンのばか騒ぎを肯定したい
その日、渋谷に行くことを避けますが、実のところ、ハロウィンを面白いと私は思ってます。その意味なんざ知ったことではなくばか騒ぎをする。ばか騒ぎバンザイ。祭りってそういうもん。ねぶた祭も祇園祭も近所の祭りも、正確な由来なんてたいていは知らんでしょ。
20年くらい前、あるいはもっと前からハロウィンになると仮装をしている人たちがいました。たいていアメリカンスクールに通っているような連中や米軍関係者とその友人の日本人たちが渋谷や六本木で騒いでいたものです。横浜や厚木、横須賀でもそうだったんじゃないでしょうか。
そこから徐々にこうなって、やがてはそれを商売に取り込むのが出てきて、今やこの騒ぎが定着。
自発的な祭りが起きているんだから、これを地元の人たちや行政は盛り立てて、商売につなげればいい。絶好の商売のネタじゃないですか。で、商売するんだったら、それに伴う責任を果たせ。
この動きにうまく対応できていないのは、ゴミを捨てる人たちだけの問題ではない。それによって利益を得ている人たちすべての問題。金だけ得て、ゴミを放置はまずい。
※この写真も前回に続いて雨の日の歌舞伎町です。
デモも祭りも肯定したい
デモでチラシやパンフを配れば、捨てる人が出てくるのは避けられない。私もSEALDsのデモに沿って歩道を歩いている時に配布したパンフが捨てられているのを見て拾ったりしてましたが、気づいた人が拾えばいいことです。
その程度のゴミであって、デモのゴミ拾い担当が拾うゴミの大半はもともと落ちているゴミです。本来は商店会や行政がやるべきことをデモ隊がやっている。デモ隊は街を汚すのではなくて、きれいにしている。
それをただ「バカ騒ぎをやめろ」なんて言って終わらせるような大人にはなってはいけない。西川貴教のように、いい加減なことをしたり顔を言ってのける大人になってもいけない。
私が講釈した学生も、これには失笑していることかと思います。
ハロウィンをバカにしながらデモに出るバカ
とにかくハロウィンに文句をつけたい人たちが多いことはようわかりました。他人が楽しんでいることを許せない人たち。
ゴミを名目にしていますが、実際には「クリスマス粉砕デモ」と一緒。「リア充死ね」とストレートに表現している分、クリスマス粉砕デモの方がまだまし。デモをすることで結局はクリスマスに参加し、盛り立てているとも言えますし。
さらには、デモに出ているような人たちまでがしたり顔で批判する様を見て気分が悪くなりました。「ばか騒ぎ」「ゴミを出すな」とさんざんデモに対しても言われてきたのに、そこに乗っかるなよ。
「デモや街宣で人が集まれば金を落とすのだから、地元にも貢献している」と主張してきたくせに、ハロウィンで金を地元に落とすことは見ようとしない。「自分らのデモは崇高で、ただのばか騒ぎでしかないハロウィンとは違う」ってか。
しかし、デモと祭りは無関係ではありません。
(残り 1122文字/全文: 2463文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ