ソフィア・ローレンの脇とマリリン・モンローの脇-毛から世界を見る 3 (松沢呉一) -2,493文字-
「百年前の陰毛-毛から世界を見る 2」の続きです。
ソフィア・ローレンの脇毛
フランスのアデル・ラボさんによるツイートから始まった今回の毛騒動は、世界各国のさまざまなメディアに取り上げられています。
7月13日付・英ガーディアン紙は若き日のソフィア・ローレンの脇毛写真を出して、毛騒動を大きく報じています。
脇毛と言えばソフィア・ローレン。
この記事では歴史的な毛の評価にも触れています。体毛除去は、古代ギリシャやエジプトに遡り、近代では1915年にジレットが女性用カミソリを発売、「体毛は見苦しい」と宣言して女性の体毛除去がスタート。もちろん、その前から剃っている人もいたでしょうけど。
1960年代から1970年代には、体毛は残した方がファッショナブルという考え方が一部に広がりますが、ポルノによって毛は除去されるように。
というのがこの記事の解説です。
しかし、上のソフィア・ローレンの脇毛の意味をこの文脈で充分に説明することは難しい。
多様な脇毛
60年代から70年代の脇毛の意味は多様です。今も同様ですけど。
意味のひとつはフェミニストの脇毛です。化粧をしない、スカートを履かない、ブラジャーをしないといった行動とリンクして、「男に、あるいは社会に媚びない女」の主張としての脇毛伸ばしです。
それといくらか重なりつつ、ナチュラリストの脇毛もあります。「ありのままで生きよう」みたいな主張。ヒッピー寄りと言ってもいいかもしれない。この人たちもブラをしなかったりしますので、共通項が多い。しかし、こっちの人たちは長いスカートを履き、ジャラジャラとアクセサリーをつけ、マリファナを吸ったり、シンナーを吸ったりしてましたから、容易に区別がつきます。
以下は7月16日付・独ディ・ヴェルト紙が出していたNENAの写真。
NENAの脇毛はナチュラル派でしょうか。
オリンピックと脇毛
続いては出遅れた脇毛。おそらく、1960年代には、日本では若い女子で脇毛を処理していないのは極少数だったと思われますが、欧米ではそこまでは徹底していなかったはず。
青春期を思い出すと、オリンピックで脇毛を見るのが楽しみでした。私が十代の頃には、日常で若い女性の脇毛を見ることは難しくなってました。おばちゃんは脇毛をむき出しにしていることがありましたが、電車の中で若い女子の脇毛を見るのは相当レアな感じ。
さすがに体操選手は剃っていたと思いますが(体操選手は過酷な食事制限とトレーニングで生理も来ないそうなので、脇毛が生えないのかも)、陸上選手のように脇が見えやすいコスチュームの競技やバレーボールのように脇が見えやすいポーズをする競技をジッと観察していると、脇毛を見ることができました。表彰台の上で手を振り上げてくれると最高です。「勝った」って思いを共有できます。
その点、肌が黒かったり、毛が金髪だったりすると、毛が生えているかどうかわかりにくいので、楽しみが少ない。また、冬季オリンピックも楽しみが少ない。
しかし、やがてはヨーロッパ各国、米国から脇毛が消え、東欧、中南米もそれに続きます。中国では最近でも脇毛が伸びているのがいますが、これも時間の問題でしょう。
日本で脇毛処理が徹底していたのは、前回書いたように、歴史的に毛の処理に慣れているってこと、同調圧力が働きやすいこと、黒い毛は目立つことによるものだと思います。
マリリン・モンローの脇
そして、もうひとつ重要な脇毛があります。
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