ソドミー法とアラン・チューリング法—セックスワークの非犯罪化に反対する人たちがソドミー法に反対できるのか?-(松沢呉一) -3,433文字-
ソドミー法で天才数学者を葬った英国
三日ほど前のBBCニュースです。
(略)
「アラン・チューリング法」と呼ばれる今回の措置は、第2次世界大戦中にドイツの暗号解読に大きく貢献した数学者アラン・チューリングを2013年に赦免した際、政府が公約したもの。すでに犯罪として扱われなくなっている性行為で有罪となった故人について、自動的に赦免する。
存命の人はすでに、内務省を通じて犯罪歴を消去できる。
英国の性犯罪法は1967年にイングランドとウェールズで、21歳以上の男性同士の同性愛行為を合法化した。しかしスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった。
アラン・チューリングは19歳男性と性的関係をもったとして、1952年に有罪となった。刑務所に収監される代わりに同性愛を「治療」するための化学療法を処分として受け入れたが、1954年には青酸カリで自殺した。
恩赦が認められたのは2013年のことだった。
(略)
ジョージ・モンタギューさんは1974年に、男性との公序良俗違反行為で有罪となった。自分が求めているのは謝罪であって、赦免ではないと言う。
「赦免を受け入れるというのは、自分が有罪だったと認めることだ。私は何も悪いことはしていない。ただ、たまたま居合わせた時と場所がまずかっただけだ」とモンタギューさんはBBC番組「ニューズナイト」に話した。
「アラン・チューリングは私の英雄のひとりだ。その彼に恩赦を与えたのは間違っていると思う。何の罪を犯したというんだ? 私と同じで、男性しか愛することができないというそれだけだ」
「謝罪してもらえれば、私は赦免はいらない」とモンタギューさんは言い、そもそも同性愛を「はなはだしい公序良俗違反」扱いしていたことが間違いだと力説した。
「異性愛者は対象にならなかった。異性愛者はどこで何をしても、おとがめがなかった。建物の入り口だろうが廊下だろうが、車の後部座席だろうが。同性愛男性だけが対象とされた。こんなこと、正しいわけはないでしょう?」
そのままにしておくよりマシとは言え、死んでから赦免されたってね。赦免ということは「本当は犯罪だけど、許してやらあ」ってことですから、そりゃ納得しにくい。当時、犯罪だったものをいまさらなかったことは法的にできないでしょうが、「謝罪しろ」と要求するのは妥当かと思います。
この記事では「公序良俗違反」となってますが、原文ではgross indecencyになってます。男性間性行為と幼児性愛を取り締まる法律で、後者の意味ではいわゆるソドミー法です。オスカー・ワイルドもこれで逮捕、投獄されています。性犯罪であり、たしかに公序良俗違反と言ってもいいでしょう。
遺書も残されておらず、アラン・チューリングの死の意味はなおはっきりしないようですが、逮捕され、ホルモン治療を強制され、同性愛者であることを広く知られてしまったことと無関係ではないでしょう。
同性愛が犯罪とされたために犯罪の被害者になった
厳密に運用され続けていたわけではないにしても、たかが同性愛がスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで違法だったのも驚きですが、今なお同性愛が違法の国は多数あって、死刑になる国もあるのはご存知の通り。
映画「イミテーション・ゲーム」で描かれている逮捕のきっかけは、細部は違えど、実際にあったことを元にしているようです。性行為をした相手の手引きで泥棒が入り、近所の人が通報するのですが、アラン・チューリングは泥棒があったこと自体をしらばっくれます。その様子がおかしいと警察は察知し、やがて同性愛行為が発覚、泥棒の被害者であるにもかかわらず、アラン・チューリングは逮捕されます。
今でもそのことをもって脅迫したり、嫌がらせをする事件が日本でもあるわけですけど、犯罪だった時代には、こういう事件が多発していたのではないでしょうか。多発していても表には出ない。警察に被害届も出しにくく、そのことを誰にも相談できない。警察がソドミー法を積極的に運用しようとしなくても、別の犯罪を隠蔽し、成立させることになります。
ひどいですね。しかし、それをひどいと思えるのは、「ひどい」と思える社会になったからです。そこに至るまでには多くの人たちの苦難があり、多数の犠牲もありました。
自分の頭で考える人、自分の外にある考えに従う人
今の時代にアラン・チューリングに同情し、ソドミー法に怒るのは簡単。今の社会の良識をなぞればいいだけ。もちろん、そうすることにも意味はありますが、生きている時にやればさらに意味があります。ナチスの暗号解読に一役買ってイギリスを救い、人工知能の父と呼ばれるようになった天才数学者は死ななくてもよかったのかしれない。
あの時代、彼を擁護することは社会の良識に歯向かうことでした。なにしろ同性愛は犯罪であり、道徳にも反する行為を擁護することは自身の立場も危うくすることです。あの時代のイギリスに私が生きていたら、擁護したと思いますけどね。バレるも何もないですから、こういう時こそ、MAN HUNTのTシャツを着た私の出番です。
しかし、社会の良識に沿ってしか頭を使えない人たちは、「同性愛は社会の秩序を乱す存在」「男の尊厳を損なう存在」「家族制度を破壊する存在」と考え、「合法にすると自分も同性愛者になるのではないか」と恐れ、同性愛者を投獄し、電気ショックやホルモン治療を強制して更正させようと躍起になったわけです。
そして、今なお投獄され、処刑されている人たちがいます。
バカバカしいでしょ。処罰しないことで社会の秩序は乱れましたかね。男の尊厳が損なわれましたかね。家族制度が破壊されましたかね。誰もが同性愛者になりましたかね。
なぜ彼らはセックスワークの非犯罪化に賛成できないのか
今もセックスワーカーに対して、同じことを言っている人たちの群れを見てくださいよ。「セックスワークは社会の秩序を乱す存在」「セックスワークは女の尊厳を損なう存在」「セックスワークは家族制度を破壊する存在」として、意思なき哀れな存在を更正させようとする。売防法の理念そのものですし、ソドミー法のあったイギリスでそれを支持した人たちと同じです。
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