社会を変革するのは理念か経済か—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(3)-(松沢呉一)-3,436文字-
「日本人の4割が「妻は家庭を守るべき」と考えている—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(2)」の続きです。
社会は何を理由に変化するのか
社会がどう変化するのかについては、『女子のキャリア』の著者である海老原嗣生氏と私は考え方において相当に違いそうです。
では、なぜ欧米諸国は一足先に、女性の社会進出が始まったのか?
この部分でも、マスコミの表層的解釈と、私の意見は異なります。理念で多くの人を引っ張り、目を覚まさせた結果、社会が変わったとは思わないからです。それよりも各国やむにやまれぬ事情があり、そうした社会背景が、女性の社会進出を後押しした、というのが真相ではないでしょうか。
このあと、具体的な例を挙げて、こう結論づけます。
要は理念や啓蒙で社会は変わらず、それよりも、経済要因や社会要因が重なり、女性が働くことへの要望が高まったときに、社会は変わると、私は考えています。
しかし、人々の意識が一切関係がないと言い切っているわけでもなくて、意識が変革の邪魔をすることがあることも指摘しています。ここはどちらをどの程度評価するのかの違いってことでしょうけど、日本においてはこの意識の遅れ、理念の遅れが大きいのだと私は感じています。
今の日本は30年前の米国と同じではない
『女子のキャリア』で展開されている「日本は20年前30年前の欧米と同じ。だから20年30年で自然と日本は欧米に追いつく」という主張は正しくないのではないかと私が感じたことの根拠になる数字を出してみます。
たしかに欧米において急速に女性の雇用が増大していくのは1970年代から1980年代です。
元はOECDのデータで、これが掲載されているのは黒澤昌子(政策研究大学院大学)の論文「米国におけるワーク・ライフ・バランス」です。この論文は面白い。
このグラフを見ると、日本は米国とまったく違う動きをしていて、1970年代前半まで、日本の女性就業率は米国より、またOECD諸国に比して高いことに注目していただきたい。
基準が戦後とまた違うかもしれないので、そのまま比較することはできないでしょうけど、「ビバノン」で使用した数字を参考までに出しておくと、大正九年(1920)における女子有業率は36.44パーセントでした。
この少し前から第一次産業や女工といった職種とはまた別の女子の社会進出が目覚ましく発展していき、だから東京市も大規模な調査をやったわけです。社会状勢の変化とともに、これ以降さらに数字は高くなっていったはずです。ここはたしかに経済的必然性の結果です。
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