吉原で殺された女と殺した男とその母—無毛殺人事件-[ビバノン循環湯 402] (松沢呉一) -2,238文字-
「毛から世界を見る」シリーズの一回目に「戦前は陰毛がないことを苦にして自殺した女性までいます」と書いています。そう書かれたものはあるのですが、いまだ詳細がわかりません。しかし、陰毛がなかったことで殺された例はあります。これは「赤線殺人事件—「店舗は安全」と警察も認める」の続編でもあります。前半はメルマガに書いたもの、後半は「東京スポーツ」に書いたものです。
北里俊夫のコント集『女の体臭』
戦後間もなくの雑誌でよく見かける北里俊夫という人物がいる。ストリップの演出家であり、脚本家でもある。雑誌に書いている原稿もたいていはストリップについて。ここでのストリップは今とはちょっと違って、日劇ミュージックホールにつながるエロレビューである。
北里俊夫は池袋にあった劇場「アヴァンギャルド」の経営にも関与(アヴァンギャルドの創立者は炭屋のオヤジだったと記憶する。額縁ショーの前に、ここで裸レビューをやった可能性が高いのだが、詳細は不明)、同劇場で自身の劇団「グランギニョール」を立ち上げている。これもエロがかったレビュー劇団のようだ。
雑誌の原稿から興味を抱いて、北里俊夫著『セックス・コメディ 女の体臭』 (あまとりあ社・昭和二六年)を読んでみた。おそらくこれが唯一の著書。劇団用の台本と雑誌に書いた艶笑譚からなり、当時のエロレビュー劇団がどんなものを演じていたのかよくわかる。 簡単に言えばたわいもないエロコントだ。本人が使っている名称で言えば、セックスコント。
しかし、時代背景が違うだけでなく、ひねりがなさすぎて、今では通用しにくい笑いかと思う。 そのため、全部は読んでおらず、飛ばし読みをしたのみ。 たわいもないのは意図しているところでもあるようで、あとがきにこうある。
艶笑小咄は、オチが大切だ。気の利いたオチがないと、笑えないから、ひどくワイセツになる。
私は、頼まれるままに、いろんな雑誌や劇場に艶笑小咄を書いて提供して来たが、そのたびに、いつもオチに苦心するのである。
特に板にかける(上演する)場合は、所謂「考えオチ」は、観客大衆にわからないことがあるので、ひとりよがりになることを避けなければならない。だが、といって、平凡なオチではつまらないから、作者として、より以上に頭をひねるわけである。
この本に出ている内容が、そんなにひねったものとも思えないが、 時代を読み込むことは十分できて、街娼がしばしば登場する。
街娼をやっている女が声をかけたら、相手は昔の恋人で、戦争から帰ってきて運転手をやっており、二人はひさびさに川原でいい雰囲気に。オチはさんざん昔話をしたあとで、男が「で、いくら?」と聞くだけ。全然面白くなくて、笑えないから、ひどくワイセツである。
あるいはこの当時のレビューで起きかねないことをネタにしたコントはこういう展開。 芝居が始まり、女優が裸になったところで警察が入ってきて、事情聴取が始まる。警察は「毛が見えた、写真も撮ったのでそれを見ればわかる」と言い張るが、演出家は「そんなはずはない」と言い張り、両者の押し問答が続く。最後は演出家が「彼女は無毛症です」とバラすのがオチ。笑えないから、ひどくワイセツである。
※書影はWikipediaより
赤線時代の吉原で殺された女
こんなしょーもないコントより、現実の無毛症の話の方がずっと面白い。笑えるという意味の面白さではないのだけれど。
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