偶然にも菜食主義で禁酒・禁煙—ヘンリー・フォードとナチス[4](最終回)(松沢呉一)-4,624文字-
「偽書の手法を取り込んだナチス—ヘンリー・フォードとナチス[3]」の続きです。
ユダヤの3S政策
「シオン賢者の議定書」にも『群衆心理』に通じる箇所があります。
「尚ほ吾々は彼等が何か考へぬ様に享楽や、遊戯や、娯楽や、性欲や 民衆倶楽部などを設けて彼等を牽制する」
「間もなく吾人は新聞雑誌に依って各種各様の運動、芸術の競技を提議する、則ち此等の趣味は吾々が彼等と戦はねばならぬ諸問題から人心を徹底的に牽制する。さうすると人々は次第に独立の思索から離れて吾人と共鳴する、何故ならぱ思想の新傾向を提出するのは吾人許りであるからである」
大衆煽動のためには独立の思索が邪魔なのだと。それをさせないためには自分らが支配するメディアの情報や娯楽に浸らせ、具体的には「享楽、遊戯、娯楽、性欲、 民衆倶楽部」です。
民衆倶楽部というのが何かわからないですけど、雀荘ではないことは間違いないとして、パブのような飲み屋でありましょうか。あるいはこの頃世界的にスポーツ機運が盛り上がっていたので、スポーツクラブかもしれず、ここでの遊戯もおそらくスポーツでしょう。娯楽はおもに映画や演劇か。これがユダヤの3S政策と言われるものです。スクリーン、スポーツ、セックス。
3S政策はGHQが日本国民を馴らすための政策と言われてますが、そのルーツはユダヤなのです。実際にそうしたのではなく、ユダヤ陰謀論でそう言われています。
ナチスは国民を享楽に浸らせることによって問題に目を向けさせないのではなく、そういったジャンルまでを管理して、プロパガンダに利用しました。
ヒトラーはオリンピックに興味がなかったらしいですが、ゲッベルスが利用できると進言して、ナチス・オリンピックに。
※Nürnberg Reichsparteitag der Arbeit 1937より。これはオリンピックではなく、たぶん党大会
ヒトラーは柔軟かついい加減
オリンピックの利用もそうですけど、利用できるものは積極的に取り入れるのがナチスであり、ヒトラーです。そこは柔軟とも言えるのですが、換骨奪胎だらけで行き当たりばったりのナチスの体質がホロコーストを招いたのです(ホロコーストは当初からの計画だったのか、収容所の維持が限界に達して殺すしかなくなったのかについてはずっと議論があるのですが、『我が闘争』の時点で、選択肢のひとつとしてすでに考えていたと読めるところがあります。とは言え、具体的な計画まではなくて、なし崩しでその選択肢が実現してしまった印象を私は抱いています)。おっちょこちょいの独裁は取り返しがつかない。
『我が闘争』を読んでいて、「ああ、そうだったのか」と思ったのは旗です。
『我が闘争』でははっきりとは書かれていないのですが、ハーケンクロイツはそもそもナチスのオリジナルではなく、他の民族主義団体が使用してきたもののパクリです。ヒトラーはそれを徹底することで自分たちのものにしてしまう。
ナチスはハーケンクロイツの旗を林立させるのが好きです。それを見ると、ゾーッとしたりするわけですが、あれのルーツは左翼の赤旗です。ヒトラーが赤旗を林立させる左翼のデモを見てヒントを得たと書いています。それを見てゾーッとして「オレらはあれはやるまい」と思うのではなく、「よしオレらもやるぞ。やるんだったらもっと徹底的にやるぞ」と考えるのがヒトラーです。
そのことからすると、「シオン賢者の議定書」からでも使えるところは使ったのではなかろうか。
ヒトラーは『我が闘争』で、他の国家主義団体がナチスの綱領などを真似していることを指摘して、ナチスがオリジナルであることを誇らしげに書いてますが、ナチス自体がそうもいばれるようなものではないでしょう。
ナチスがいかにあちこちからもってきて繋ぎ合わせているのかもまとめたいところですが、もうやっている人がいるんじゃないかな。
※Nürnberg Reichsparteitag der Arbeit 1937より
ヒトラーとフォードとワーグナーの共通点
『世界の猶太人網』を読んでいて、もうひとつ気になったことがあります。気になったことは他にもいっぱいあるんですけど、とくにここ。
又第一議定に曰く
「酒で著馬鹿になって居るアルコール浸りの動物を見よ、酒を無制限に用ふる権利は自由の無限使用の権利と共に与へられてあるのだ、併し我々及び我党のものには許してはならぬ…」
偶然にもアルコール性飲料の莫大なる収入は猶太人の懐中に流れ込んだ。米国に於ける「ウイスキー党」の物語は実に之を証明するものである。歴史的には此の米国の禁酒運動は非猶太人と猶太人資本家との間の闘争を現はすものであって、非猶太人は多数のお蔭で此の戦闘に勝ったのである。
禁酒法は1920年制定。「戦闘に勝った」というのはこれを指します。
ここで「偶然にも」と書いているのは、「偶然ではあり得ない」という反語的用法です。「なんと不思議なことに、議定書の記述と偶然にも現実が一致しているのです。これが偶然でありましょうか」といった意味。
こう書いているくらいでフォードはほとんど酒を飲まなかったらしい。タバコもやらず、コーヒーも飲まず、肉も食わず。
偶然にもヒトラーもそうです。
(残り 2637文字/全文: 4886文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ