ラインハルト・ハイドリヒによるサロン・キティ計画の顛末—政府高官や将校たちは売春婦たちに何を語ったのか-(松沢呉一)
「娼家の公認と個人売春の禁止—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[4]」からまったり続いてます。
冷血漢ラインハルト・ハイドリヒ
『ナチ・ドイツ清潔な帝国』に注目のワードが出てきます。サロン・キティ(SALON KITTY)です。
この本の冒頭に、ラインハルト・ハイドリヒが複数の相手と婚約をしていたことで軍帽会議にかけられたという話が出てきます。この人物がサロン・キティの仕掛人です。
ハイドリヒはヒムラーに次ぐ親衛隊のナンバー2であり、ヒムラーとハイドリヒがあのゲシュタポの指導者です。ヒムラーも相当に冷酷ですが、マヌケなところも見え隠れします。しかし、ハイドリヒは隙がない。多重婚約がもっとも人間らしいエピソードかもしれない。
また、ヒトラーは弱さも見えます。ヒトラーが第二次世界大戦後期、ほとんど引きこもりになっていたのは、敵が怖く、自身を暗殺しようとしている味方も怖かったからですが、対してハイドリヒは自信に満ちて無防備です。その無闇な自信が命取りになってチェコで暗殺されました(エンスラポイド作戦)。
ハイドリヒは音楽家の一家に生まれ、本人もバイオリンを得意とし、人を殺したあとでバイオリンを弾きそうです。ナチスがやった狡猾な謀略はハイドリヒが得意とするところであり、スターリンさえも翻弄されています。
おそらくハイドリヒはヒトラーのその弱さを見抜いていて、内心、ヒトラーを馬鹿にしていたようです。
以下はWikipediaより。
ハイドリヒは上官ヒムラーの命令には忠実だったが、陰ではヒムラーを間抜けと評し、個人的な忠誠心は全く持っていなかった。ヒムラーもまた、ハイドリヒの能力と増大する権力を内心恐れつつも彼に頼らざるを得ないという複雑な主従関係であった。総統であるヒトラーに対しても、他のナチ党高官と異なり、決して心酔していたわけではなかった。ハイドリヒは1941年にバート・クロイツナッハでフェンシング仲間に「もしあの老いぼれ(ヒトラー)が何かしくじったら自分が真っ先に葬ってやる」と口にしたという。彼の同僚は多くが「1944年7月20日までハイドリヒが存命していたならおそらく彼は暗殺側に加担していただろう」などと語っている。
この発言がばれたら粛清対象でしょう。
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