松沢呉一のビバノン・ライフ

女が酒を飲み、博打をやっていた時代から、外出もままならなくなっていく過程—女言葉の一世紀 154-(松沢呉一)

蔑視される女優たちと掟破りの新聞記者たち—女言葉の一世紀 153」の続きです。

 

 

 

河合武雄の妻・栄子のつまらない日々

 

vivanon_sentence前回の下山京子も美人ですけど、磯村春子著『今の女』に出ている写真でもっとも美人は河合栄子でしょう。磯村春子も「美しい」と書いています。

河合栄子は女形の新派の役者として絶大な人気のあった河合武雄の妻です。人気のある役者が家庭ではどんな人で、その奥さんはどんな人なのだろうという興味で話を聞きに行ったと思うのですが、とくに面白い話はなかったようで、このインタビューは短い。

二人のなれ初めなど、スウィートな話はまったく出てこず、いかにつまらない生活をしているかの話で終始します。

 

「私は俳優の女房などには適当で無かったのでせうよ。他処(よそ)のお女房(かみ)さん達を見ますると、お酒は飲むお花は引くといふ様に遊び道楽ですが、私は斯うやってお参詣の外にはチッとも他所歩きを致しませんのです。

良人は、六ヶ敷家(むつかしや)の癇癪持ちですから、随分、気が詰まりますよ。何時でも、「お前はどんな事が、あっても、俺の行先とか、何をするとか云ふ事を聞いては、不可(いけ)ない。又旅先へ同伴(つい)て来ることは断然許さないよ。」と、申し渡されて居りますの。人気に障る事ならば致方ないと諦めては居りますものの、他処のお女房さん達が、旅から旅への面白く遊び歩いて居るのを聞きますと、私だって飛んで行きたい様な、時もありますね。」

と、表情巧みな、黒味勝の目が輝く。

「人気商売とは云ふものの、人情ですから妾をおく事と……素人に関り合ふ事だけは罪だと思ってよして下さいと頼んで居りますの。」

左の袂を、両手に取上げて、思ひあり気に、さしうつ向く。

「え、俳優の妻の楽み? そんなものが、ありませうか……私には、解りませんわ。」

 

 

「差し俯く」って、今はまず使わないですが、ただ下を見るのではなく、うなだれる様を差します。とくにここでは袂を上げて顔を隠すようにしているのですから、ほとんど泣きそうな感じでしょう。

彼女は芝居を見るのが好きなんだそうですけど、それもままらない。夫が家にいても息を抜けない生活です。

この時代の妻たちの誰もがこんな生活をしていたわけではないことは、彼女の言葉からも推察できます。酒は飲むわ、博打はするわ、旅行はするわ。どういう層を差しているのかわからないですが、貧乏人では旅行はできないので、同じ役者の女房たちでありましょうか。

江戸時代の武家の妻たちも多くは河合栄子のような生活だったでしょう。古い時代の妻たちはこういう生活をしていて、時代を経るごとに自由になっていくといった直線状の変化で考えている人たちもいるのでしょうが、むしろ逆になっている面もあります。

追記:このインタビューを読むと、「しおらしい妻」って感じですけど、これは演技が入っているかもしれない。孤松斬風著『現代俳優情話』(大正11年)を読んでいたら、河合武雄とおえい(栄子のこと)のことが出ていて、彼女はもともと新橋の栄龍という名前で出ていた芸妓で、一流どころの客と浮き名を流し、客を「鼻血も出ぬほど素寒貧にしてのけ、おさらば去らばを利(き)め込んで、そのしぼった紙幣の束を懐中にして」河合武雄と結婚し、その金をもとに河合武雄は高利貸しをしているとのこと。「しおらしい」のではなく「したたか」っぽい。

 

 

反男女同権・反自由平等の嘉悦孝子も登場

 

vivanon_sentence磯村春子著『今の女』には「ビバノン」ではお馴染みの「反男女同権・反自由平等」主義者・嘉悦孝子も登場。

 

斯様にして日本の女は参政権の運動は出来なくなっても、その家庭を富まし、その国を裕(ゆたか)にしておいて、この身代はお前が半分作り上げたものだと、隅に居ても重味がある様な女になりたいものですわ。

 

結婚をして「参政権の運動は出来なくなっても」の意味にもとれるのですが、ここは「参政権の運動が出来なくっても」の誤植ではないかとも思えます。そんなことより家事で夫や国家に貢献しろと。そういう考えの人です。

「斯様」の内容は「家事の経済法」を身につけるってことです。家事経済、家事商業です。

なぜこれが必要なのか。

 

一体日本の女は自分で日用品を買ふのは恥しいの、安い物を尋ね、買うのは体裁が悪いのと、変な処に理屈を付けて馬鹿に気取ったりも、イヤに奥様振りたい風があるのですね。

(略)

仏蘭西の女は馬車に乗っても自分で買出しに出掛けるといふし、独逸の婦人は毎朝起きると、先づ電話口に立って、方々の問屋に日用品の其日の相場を、問合せて置いてかせら、買物に出かけるといふぢゃありませんか。

(略)

夫れに比べたら日本の女は何うでせう。馬車は園遊会のお供とか、電話はお芝居見物の相談と云った様な事では誠に仕方ありませんね。そして僅か三尺か五尺の小切を求めるのに呉服屋を宅まで呼び付ける様では、迚(とて)も今日の辛い経済が持切れるものではありません。

 

 

自分で買物に行くのはいいとしても、それは節約のためでしかなく、自由を得ることとは別です。

 

 

next_vivanon

(残り 2328文字/全文: 4484文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ