貴婦人令嬢こそが問題だった時代—女言葉の一世紀 151-(松沢呉一)
「磯村春子著『今の女』で知る大正初期の女たち—女言葉の一世紀 150」の続きです。
貴婦人の暗黒面
下層の人たちの探訪はそれ自体が「社会の暗部」を見るものですが、磯村春子著『今の女』では上流階級の女たちの「暗部」も取り上げています。
「貴婦人の暗黒面」の章では、「貴婦人令嬢」をクローズアップしています。下層の人々が道徳に反する行為をしたところで当たり前、期待通りってことでしかないですが、「貴婦人令嬢」となるとそうはいかず、この層のご乱行が社会問題になっていたのはここまで見てきた通りです。高いところにいる人たちをひきずりおろすのが庶民は好きですから、新聞や雑誌は好んで、こういう話を取り上げていました。
女学生が大学生と待合に入る、乱交をする、酒を飲み歩く、売春をするといったタイプの不良たちについては何度か取り上げてきましたが、この「貴婦人の暗黒面」では万引きを扱ってます。
この記述を見て、ああそうだったのかと思いました。
警視庁の山本捜索掛長は、記者に向かって恁(こ)ういふお話をせられた。
「実際、呉服店の売出しとか、何とかいう場所に立混って、知らぬ顔で見物して居ると、近頃、著しく流行して来た、あの万引なるものが、独り常習者ばかりでなく、堂々たる貴婦人令嬢と云はるる人々の間に行はれ、而かも、巧みに店員等の注意と監視の眼を、晦(くら)ましつつあるのを発見する」
万引きは流行りもののように始まったのです。これは百貨店の登場によって、販売方法が変化したことに伴うものでしょう。それまでは客の要望に応えて、ひとつひとつ商品を持って来たため、万引きは簡単ではなかったのに対して、百貨店では客の手の届くところに商品が置かれるようになりました。
金のない層では、商品を見ているうちに欲しくなり、出来心で黙って持って行くのに対して、貴婦人令嬢は馬車や自動車でやってきて、商品を買い込んだついでに、ひとつふたつ黙ってもっていき、お付きの者がグルだったりするそうです。計画的かつ集団による悪質な犯行であるにもかかわらず、お得意さんであり、買うものは買ってくれてますから、それがわかっても店は文句を言いにくく、貴婦人令嬢たちはこれが恒常化してました。結局、金持ちは得をする。
横浜開港資料館から借りました。後列左端にいるのが磯村春子。英語力を買われて米国艦隊の接待役になった時のことは『今の女』の付録「婦人記者十年」に書かれています。
女学校出の妾志望者が急増
桂庵(職業紹介所の通称)の探訪で面白かったのは、妾志望者が急速に増えていて、それが女学校を出た若い女たちだという話。
周旋屋は、更に語を次いで
「堕落する女に限って、必ず、普通教育を受けたものです。」
と、この言葉は、真に、研究すべき価値がある。
要するに、田舎出の無学な女は、只、手足を働かすのが専門、大した希望のあるのではなく、御主大事に、勤め上げて、給金の割増でもして、貰ったり、お嫁入りの仕度でも揃へて、田舎へ帰って、誇って見たいと云ふのが、関の山。こんな種類の女には、悪漢の手に罹らぬ以上、決して堕落する様な心配はない。
夫れに反して、憖(なまじ)いに、学問をした、若い女は、自己意識とでいふのか、気位ばかり高く、下女働きは、全然厭だが、仲働きや、奥女中でも、七面倒な、窮屈な家なれば、御免を蒙ると、持前の我が儘を言ひ出し、他所へいった朋輩が、お嬢様のお伴で、帝劇へ往ったの、奥様のお迎へに、自動車に乗ったの、という噂を、耳にはさんで、自分もそんな所で、栄華がしてみたいと、移り移って、甚しいのは、月の内に、十度も、舞ひ戻って来る者がある。
又、こんな実例がある。女学生上がりの若い女が来て、何処かへ、往きたいとの話。彼れか、此れか、と聞いて見たが、華族の奥女中でも、否だと云ふ。結局の望みは、酒場かカフィーの給仕女になりたいといふので、早速、口が出来上がり、親許へ、承諾の印を貰ひにやると、初めて、身分のある家の娘だと云ふ事が判り、親も驚いて、連れ戻って往ったと云ふ話がある。
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