松沢呉一のビバノン・ライフ

猫町倶楽部は本を読むことの意味を改めて考える場だった—猫町倶楽部初体験(7)(最終回)-(松沢呉一)

猫町倶楽部が出版社に影響を及ぼす可能性—猫町倶楽部初体験(6)」の続きです。

 

 

 

「社内恋愛禁止」の時代に危惧すること

 

vivanon_sentence四ツ木の「リトル・エチオピア」で、筑摩書房の松本良次さんにも「仕事が終わったあとで会社の人たちと食事に行ったり、飲みに行ったりするか」と聞いたのですが、ほとんど行かないとのことでした。

会社にもよりけりだし、雑誌と書籍はまた違って、私が出入りしていた雑誌編集部では、ゲラ待ちの合間にビールを飲みに行っていた人たちもいましたが、書籍編集だと「ほとんど行かない」が現在の標準でしょう。今回もそうであったように、著者と食事に行ったり、飲みに行くことの方がずっと多く、社外でのネットワーク作りに熱心な人が多いように思います。

松本さんはボクシングをやっています。新潮社の岑さんは長年地下アイドルのおっかけをしてました。追いかけていたアイドルが昨年引退したので、おっかけもやめたそうですけど、落語も長年行き続けていて、今もよく寄席に行ってます。ほとんど仕事に活かされていない趣味です。

彼らも酒は飲むのですが、社外での活動を充実させようとすれば、必然的に仕事のあとや休みの日に会社の人たちと会うことは控え気味になるってものです。

ここまで見てきたように、社会全体がそうなっていくだろうと思いますが、「社内恋愛禁止規定」の問題点は、「どこで恋愛をするのか、どこで結婚相手を探すのか」以外にもあります。「性に抑圧的な人々がいよいよ勢いづくのではないか」との危惧があって、私がこの話をしたら、その危惧を口にしていた人がいます。

セクハラももともと人事を左右できる立場にあることや、職場や学校のように、離脱が容易ではない場面に適用されるべきルールだったのに、なにしろセクハラと性差別や不適切な性交渉の区別ができない国ですから、権力関係が存在せず、離脱が容易な場面で「セックスしよう」と迫っただけでセクハラと糾弾される例や、断れるのに断らなかったことまでをあとからセクハラとする例が後を絶ちません。セクハラか否かの基準がないに等しいため、その内容も検証されず、「セクハラだ」と言えば相手を貶めることができ、恨みを晴らす道具と化し、虚言までが容認されることになってます。

その調子で「恋愛禁止」「セックス禁止」があらゆる場面に拡大しかねないことを危惧するのはもっともです。

※エチオピア・コーヒーを淹れる容器。この中に粉を入れて、バリ・コーヒーのように上澄みをカップに入れます。

 

 

猫町倶楽部にUGがあることの意義

 

vivanon_sentenceその点、マゾヒストたち』を取り上げるくらいで、猫町倶楽部では性的な表現物も対象とし、それを通じて性を語ることもできます。そういう場が今後いよいよ必要になります。

しかし、これも決してスムーズではなくて、山本多津也著読書会入門にその経緯が書かれているように、性的な書籍を取り上げることに対しては会員からの反対もあったそうです。

性をテーマにした書籍がダメだとなると、サドはもちろんのこと、D・H・ロレンスもヘンリー・ミラーも紫式部も谷崎潤一郎も三島由紀夫も永井荷風も全部ダメになってしまいますから、文学書を読む人たちはそんなことは言わないのですが、もともと猫町倶楽部はビジネス書を読む会から始まっていて、今もその活動は継続しており、そちら方面から「性を扱うと、猫町倶楽部はそういう会だと誤解される」みたいな反発があったらしい。

その論理で言えば「ビジネス書を扱うと、猫町倶楽部は金儲けをしたい人の集まりだと誤解される」とすることも可能になってしまうと思うのですが、山本多津也さんはもともと六本木で遊んでいた人だけに、読書を堅苦しいものから解放して遊びとして位置づけたいと考えていて、この分野をUG(アンダーグラウンド)という分科会として切り離すことで維持しています。ここは断固維持して欲しい。

この間の盛況振りを見ると、当面大丈夫そうですし、このジャンルでこそ読書会の意義が発揮されます。おそらくあの日も、他では一切語ったことのないワードや内容を口にした人たちもいたはずです。

 

 

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