ティグレから脱出した難民が行きついた先のスーダン—ポストコロナのプロテスト[118]-(松沢呉一)
「中国人の各国に対する好悪感情と各国の中国に対する好悪感情の推移—ポストコロナのプロテスト[117]」の続きです。
エチオピアからスーダンに逃げた人々
この子どもたちを見てやってよ。内戦を避けてエチオピアのティグレからスーダンに逃げてきた難民です。
食い物さえあれば、子どもはそこそこ楽しくやっていけると思いますが、どんどん難民が増えているので、食糧が足りなくなる可能性もあります。古い建物はまだしもしっかりしていますが、急増する難民たちは、この「学校」のような大きなテントにすし詰めで、大雨でも来たらひとたまりもない。コロナウイルスだけでなく病気の蔓延も怖い。UNHCRも悲鳴を上げています。
大人も子どももわりとこぎれいな格好をしているので、パッと見は悲惨さがあんまりないのだけれど、ちょっと前まで安定した生活をしていたことを窺わせます。そんなに着替えを持っては来られないですから、そのうちボロボロになっていくわけです。
ジャーナリストたちが拘束されてしまったため、ティグレでの様子がわからなかったのですが、他の動画では家族が空爆で死んだと語る人もいて、徐々にリアルになってきています。
スーダンも余裕はない
受け入れるスーダンも大変ですよ。受け入れたくて受け入れているのではないですけど。
スーダンはアルジェリア、コンゴ民主共和国に次いで、アフリカでは3番目に大きな国なので、土地の余裕はありますけど、スーダンもサバクトビバッタの被害エリアである上に、昨年は洪水もありました。たびたび洪水があって、砂漠化も進み、人口が増えているのに農作物の収穫が伴わないのです。
避難しているところかと思うのですが、小舟の上で歌っているところで感動しました。楽しいから歌っているんじゃなく、不安の中で自分らを鼓舞するためでしょうが、めでたいと歌い、悲しいと歌い、何もなくても歌う。
ブロテストの時のコールもほとんど歌になってます。
これは昨年8月のものです。一体何に対するプロテストなのでありましょう。それを見ていきますが、ここまでが長いんだ。
スーダンのあまりに複雑な反政府組織の対立
スーダン西部にダルフール(Darfur/دارفور)という地域があります。
北はリビア、西はチャド、南は中央アフリカと南スーダンに接する西側全域です。
(残り 1541文字/全文: 2779文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ