スーダン革命のあともプロテストは続く—ポストコロナのプロテスト[119]-(松沢呉一)
「ティグレから脱出した難民が行きついた先のスーダン—ポストコロナのプロテスト[118]」の続きです。
アル-バシール政権の崩壊
スーダンで独裁政治を敷いていたのが1989年に軍事クーデターにより政権の座に就いたオマル・アル-バシール(Omar Hasan Ahmad al-Bashīr)で、これに対して2018年12月から、反政府運動が高まります。
ここまでプロテスター数十名の死者を出しながら、2019年4月、クーデターによりバシールは失脚。以降、軍による暫定軍事評議会が実権を握ります。
暫定軍事評議会の議長がアフメド・アウフ(Ahmed Awad Ibn Auf)です。しかし、前政権に関与していたということで、抗議は止まらず、一日で辞任して、アブデル・アル-バーハン(Abdel Fattah al-Burhan)が議長になり、暫定元首に就任。
アル-バーハンはすぐさま政治犯として入獄していた反政府運動の活動家を全員釈放し、反政府運動とも話し合いを進めます。
しかし、なおプロテストはやまず。
文民政府に早く移行しないとどうせまた同じだと。
ヌビアの女王登場
その中で出てきたのが「ヌビアの女王(Nubian queen)」ことアラー・サラー(Alaa Salah)。前年から注目されていた人ですけど、国外でも注目されるようになったのはこの頃。
この動画はよく覚えてます。当時、Facebookでシェアしたはずです。
彼女だけでなく、スーダンでは女たちが活躍。
プロテスターの半分以上が女性だったこともあるそうな。
ここでのチェックポイントはヒジャブです。ほとんどの人はヒジャブをしていて、グラフィティを描いているのも頭は隠していますが、していない人も見られます。この段階ではまだヒジャブは法で強制されていて、していないと逮捕されます。しかし、プロテスト参加層では、そのことは問題にはならない。むしろ、その義務を外せという人たちが多いでしょう。
ハルツームの虐殺
6月にアル・バーハンがエジプト、アラブ首長国連邦を訪れたあと、態度を急変させて、治安部隊とRSF(前回参照)が反政府運動家たちを100名以上を虐殺し、レイプしまくり、逮捕しまくります。これがハルツームの虐殺(Khartoum massacre)です。
厳しい内容ですが、どういう状態で虐殺がなされたのか以下の映像が伝えます。
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