カタルーニャとバレンシアの音楽群[8]—ポストコロナのプロテスト[138]-(松沢呉一)
「カタルーニャとバレンシアの音楽群[7]—ポストコロナのプロテスト[137]」の続きです。
シャビ・サリア(Xavi Sarrià)
「Los Borbones son unos Ladrones」の映像を出しているのは「Propaganda pel fet!」(事実の宣伝)というチャンネルです。
これは前回見たオブリント・パスをリリースしていたインディーズ・レーベルで、シャビ・サリアも創設には関わったようです。もしくは現在も運営に参画しているのかな。
この人の存在を知ったことで、いよいよ私はカタルーニャの音楽に耽溺していったのであります(当初はカタルーニャとバレンシアをはっきり区別していたわけではなかったものですから)。
オブリント・パス脱退後、シャビ・サリアは長期の休みに入り、ソロの最初の曲が「Amb l’esperança entre les dents」。「歯の間に希望をもって」という意味。歌や言葉に希望を託すってことでしょうが、「歯の間」という言い方にいくらかの無理矢理さを感じないではなく、カタルーニャなり、バレンシアなり、スペイン全体なりで、何かこういう慣用句やことわざがあるのかもしれない。
カタルーニャの音楽は、ホーンを使ったスカ、レゲエ、ダブ寄りの音が強く、シャビ・サリアもオブリント・パス時代はそうだったわけですけど、ソロではどっちかと言えばフォーク寄り。
以下は青春パンク調の曲。
これもプロテストソング。
以下の「Ànimes navegables」に感涙しました。
最後に実写フィルムが入っていますが、1939年、フランコ政権から逃れて、50万人のスペイン人がピレネー山脈を越えてフランスに逃げました。その人たちを讃える歌です。
ちょっと前に書いたように、私は闘わずに逃げることを責めてはいけないと思ってます(責任ある人を除く)。当然のことながら、これは今現在の難民に対する視線でもあります。
ミャンマーでも上官による「デモ隊を射殺しろ」という命令に従えなかった警察官とその家族がインドに多数逃げているという報道を見て、胸が締めつけられる思いがします。彼らも警察官としての責任はあるのだけれど、逃げたことを責めてはいけない。「ミャンマーに残って軍と闘え」と安全地帯にいる人々が言うべきではない。
闘う人だけじゃなく、逃げるしかない人々への視線も失わないシャビ・サリアのメロディは切ない。
「Quan ens tornem a abraçar」もまた切ない。
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