松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツの底流にあるものがナチスを生み、ネオナチを生み続ける—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[6](最終回)-(松沢呉一)

ネオナチはドイツのマジョリティを代弁している—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[5]」の続きです。

 

 

 

ネオナチは政府以上に国民の要望をすくいあげた

 

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ドイツ統一前から、東ドイツではネオナチこそドイツの本質であるとの側面を見抜いていた人もいます。

 

 

東ベルリンの牧師ルーディ・パーンケが八九年に主張したことはじつにもっともだった。「ファッショ族」とスキンヘッドは、「多くの人が考える以上に正常」で「危険なほどに正常でもある」。かれらは「この国で学び、少年ピオニール団員となり、自由ドイツ青年同盟に入り、点呼のたびに不動の姿勢をとり、成年式(東ドイツの少年少女)は一四歳で社会主義への忠誠を誓って大人の仲間入りをした)をじっとがまんし、両親が働いていたか働きすぎていた青少年たちで、我われが日頃出会っている人たちなのだとパーンケはいう。(略)バーンケはある意味ではスキンヘッドに感心さえしているが、犯罪者を知ることが必要だというかれの社会教育論からすれば、理解を示すのは当然なことなのである。「極右主義的若者に目立つのは、かれらが自主的に生きてきたことだ。これは非常に積極的な面である。この若者たちは自分自身を主張してきた。自分自身の存在を求めてたくましく戦ってきた」。

 

ピオニール(ピオネール)は、ソビエト版ボーイスカウト。ソビエトの支配下にあった東ヨーロッパには広く存在。東版ヒトラー・ユーゲントとも言えます。自由ドイツ青年同盟ドイツ社会主義統一党の青年組織。

ネオナチ肯定論みたいに見えますが、肯定すべき点は肯定すればよく、味方でも否定すべき点は否定すればいいという考え方の人物だろうと思います。

自主的に判断しても、結局のところ、東ドイツの規範や道徳みたいなものから出ることはできず、多くの国民の望む範囲に留まったわけで、だったら、パンクスの方がいいだろと思いますけど、だからこそ、パンクスは嫌われました。

これが「なぜネオナチか」の答えです。ネオナチが旨とする規律、統制、清潔さ、純粋さ、道徳、健康、勤勉といった性質はドイツ人が美徳とする価値観にきれいに合致していました。東ドイツにおいてのネオナチは東ドイツ政府に反対をするのではなく、政府を乗り越えて、さらにそれらの価値観を徹底することを求めていたのです。

※2019年7月15日付「BR24」掲載「#Faktenfuchs: Wie in der DDR mit dem Holocaust umgegangen wurde」 米テレビドラマ「ホロコースト」は1979年に西ドイツで放映され以来、初めてBRテレビが放送、その反響を含めて、西ドイツと東ドイツでのホロコーストの扱いの違いについてまとめた記事。たしかに東ドイツではナチズムは資本主義を原因とする教条的考え方によってユダヤ人のホロコーストは軽視されてきたと説明しています。しかし、1950年代後半になると、西ドイツでもホロコーストは学校であまり扱われなくなり、むしろ東ドイツでは収容所の見学が続けられていたために逆転する現象についても触れられています。東ドイツの収容所解釈はユダヤ人抜きですから、大きな欠落があり、結局のところ、ドイツ全体がいわば完全なホロコーストの把握ができるようになったのは、統一後のことになるようです。出版物もドキュメンタリーも。

 

 

ナチスはドイツ人の美徳を具現化した

 

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これは「なぜナチスだったのか」の答えでもあります。さまざまな条件が重なりつつ、根底にあったのは多くのドイツ人が認識する美徳でした。ホロコーストだけ見ていても決して見えない現実です。ナチスを狂人集団、暴力集団として見ていても気づけない。

これにドイツ人の全体主義志向が加わってナチスが支持されていきます。

夜と霧』よりレニ・リーフェンシュタールの映画を観た方がよくわかります。あの規律正しい集団行動をドイツ人はナチスに期待していました。みんな揃って規律正しく美しく。

 

 

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