松沢呉一のビバノン・ライフ

戦後東ドイツで起きていたこと—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[2]-(松沢呉一)

ドイツを手本にしたがる人たちへの疑問—ベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』[1]」の続きです。

 

 

 

極右はなぜ東なのか?

 

vivanon_sentence以下のドキュメンタリーはドイツの地方公共放送局の連合体ARDが昨年暮れに放映したものです。全編ドイツ語で、字幕も入っていないので、ドイツ語がわからん人はさっぱりかと思います。私もさっぱりでした。

 

 

 

インゴ・ハッセルバッハの軌跡が柱のひとつになっているので、何を論じているのか少しは推測できましたが、ここで注目すべきはこの番組のテーマです。「Rechts und Radikal – Warum gerade im Osten?」というタイトルは「極右 なぜ東なのか?」という意味です。

ドイツ統一から30年経って、とくにその記憶のない若い世代では、「なぜネオナチは東に多いのか」「なぜAfDは東の支持が強いのか」について正確に答えられるのが少なくなってきているのだろうと思います。私が「ソ連体制への反発の記憶」と考えていたのと同程度の浅い考えをしているのも少なくないでしょう。

では、今から30年前、ドイツ統一直後に出たベルント・ジーグラー著『いま、なぜネオナチか?』から、その理由を見ていくとしましょう。先に言っておきますが、この本で展開されていく論は私にとっては「衝撃」と言っていいものであり、「なぜドイツの国民はヒトラーに魅せられたのか」の答えでもあります。

 

 

東ドイツで進行した問題

 

vivanon_sentence東ドイツでは敗戦後12.879名がナチ特別法定で有罪判決を受け、対して西ドイツでは6.482名が有罪判決を受けていて、84.326件は無罪。西ドイツでは有罪の約5.000件が1949年までのもの、つまり西ドイツ国家の成立前の占領下のものです。

東西を比較すると、東ドイツの方が有罪になったものが多く、それだけ追及が厳しかったことがわかります。

なお、赤軍の軍事裁判はもっと厳しく、ドイツ兵の捕虜を片っ端から処刑し、裁判をやったとしても責任ある立場だとわかれば処刑、共産主義否定をするだけで処刑だったと言われてます。ナチスと変わらん。

しかし、以降は東ドイツでは大きな問題がいくつも進行していきます。まずひとつめは元ナチス党員の追及は脱ナチ化の時代以降は沈静化していったことです。脱ナチ化の中で解雇された人々は職場復帰する。重要な役割を果たした人物が見つかっても新たに起訴はされない。

 

 

安楽死を実行した何人かの医師は東ドイツで出世していたが、その調査は屑かご行きとなった。「政治的配慮が司法的配慮に優先した」と、文書部に勤務した元国家公安省中佐ディーター・スキーバは、雑誌「シュピーゲル」(九一年二一号)に語っている。「この国では、ある種の人びとが起訴されることはまずなかった。なぜなら、そうでないと〈ああ、やはり東ドイツにもナチスがいる〉と世界中からいわれるからだ」。

 

 

広く言えば「身内の恥は外に出さない」ってことですし、西側諸国は敵であり、「敵を利するな」ってことです。

Wikipediaより東ドイツの国旗

 

 

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