歓喜力行団(KdF)とフォルクスワーゲンで夢を見たドイツ国民—山本秀行著『ナチズムの記憶』[3]-(松沢呉一)
「「すっきりしないヴァイマル共和政」から「すっきりした独裁」へ—山本秀行著『ナチズムの記憶』[2]」の続きです。
ナチスの歓喜力行団と伊ファシスト党のドポラヴォロ
山本秀行著『ナチズムの記憶——日常生活からみた第三帝国』で繰り返し登場するナチスの組織は歓喜力行団(かんきりっこうだん)です。国家的余暇団体です。SSやSAに比べるとしょぼくて地味でしょ。しかし、本書でその重要性がよくわかりました。
歓喜力行団は、1933年11月、イタリア・ファシスト党のレジャー組織ドポラヴォロ(OND)を手本にして発足。ドポラヴォロは1925年に発足、後発の歓喜力行団と骨子は同じ。よくあるように、ナチスがパクリました。
しかし、圧倒的にナチス・ドイツの歓喜力行団の方が成功。徹底するドイツ人気質も関わってましょうけど、イタリアはダサいのです。
以下は歓喜力行団のマーク。
以下はドポラヴォロのマーク。
デザイナーを雇えよって感じです。イタリア人の美学にはこれでいいかもしれないですが、同じコース、同じ料金として、どっちの旅行代理店のツアーに参加するかって話。これに限らず、イタリア・ファシスト党の美的センスがどうもよくわからんです。
前回見たように、ヴァイマル共和政時代も、地域には各政党による青年団や余暇グループが乱立していたわけですが、それらが解体させられてナチス系の団体が統一して「すっきりした状況」ができるとともに、それらとは規模がまったく違う歓喜力行団が登場します。
ドイツ労働戦線(DAF)と歓喜力行団
歓喜力行団はロベルト・ライをトップとするドイツ労働戦線(DAF)の下部組織です。ドイツ労働戦線は、ヒトラーの独裁政権樹立後に労働組合を解体して、組合員を再編成した団体ですが、法的地位もナチス内の位置づけも曖昧なまま巨大化。
経営者と積極的に闘うわけでもなく、ナチスに楯突くわけもなく、その存在意義も曖昧であり、あえて言うと、それまでの共産党系、社会民主党系の労働組合を潰すことや、労働現場でもナチス組織を配置して密告しやすくしたことか。あとはベルリン・オリンピックを優先的に見物できたらしい。これは存在価値が明確。
歓喜力行団はその余暇団体ですから、労働者の福利厚生セクションです。いよいよ地味。
このロベルト・ライはニュルンベルク裁判の被告でしたが、公判前に独房で自殺しています。裁判になっても無罪だったんじゃないかと思いますが、精神的に追い詰められていたようです。
DAFといえば、ニューウェーブ・ファンにとってはドイツのバンドのDAF(Deutsch AmerikanischeFreundschaft)です。私はずっとドイツ労働戦線を踏まえたネーミングだと思っていました。その含みもあるかもしれないですが、直接には東ドイツの独ソ友好協会(Deutsch-Sowjetische Freundschaft)ですね。東ドイツについてWikipedia読書をしていて気づきました。
歓喜力行団のウィルヘルム・グストロフ号
ドイツ労働戦線は組織としては巨大でも、何をやっているのかよくわからず、その点、歓喜力行団の役割は明確であり、ほとんど歓喜力行団のためにドイツ労働戦線が存在していたようなものです。歓喜力行団の職員は10万人以上。いかに大きな組織かわかります。
演劇、コンサート、展覧会などの文化事業もやっていましたが、なんと言っても人気があったのは旅行です。
以下の映像を参照のこと。
この客船はウィルヘルム・グストロフ号です。ウィルヘルム・グストロフはスイス人で、スイスナチ党の創設者であり、1936年にユダヤ人に暗殺されました。
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