松沢呉一のビバノン・ライフ

外国人が着物を着ることを「文化盗用」としたがる人々の神経を逆撫でする動画—ハイコンテクスト文化圏の儀礼的無関心-(松沢呉一)

 

着物を着た黒人が東京を歩く

 

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日本に来て着物をレンタルして「文化盗用」を楽しむ外国人の様子をその後も観ていたのですが、中ではこの動画が面白かったです。着物ではなく浴衣ですが。

 

 

2022年末に公開された動画です。これまで存在を知らなかったのですが、Enimさんは、この時点で日本に8年以上住む米人です。

誰も自分の存在を気にしていないように見えるのは、「日本語はハイコンテクスト言語であり、英語はローコンテクスト言語」とEnimさんは説明しています。

 

 

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化

 

vivanon_sentence世界の文化をハイコンテクストとローコンテクストという軸で分類をしたエリン・メイヤーは、日本がもっともハイコンテクストな文化であり、米国がもっともローコンテクストな文化としています。

彼女は米人で、現在は、パリのインシアード・ビジネス・スクールの教授です。専門は組織行動学。ビシネスの視点で、他文化との接点において、相手の文化を理解するのが不可欠という考え方から、このような分類を完成。

その文化を構成する人々の間で、共有されている認識が大きければ大きいほど、発せられる言葉や態度は示唆的になり、行間を読むこと、文脈で判断することを期待されます。その文化の構成員はさして意識せずに、言語外に意図を理解します。日本人の「空気を読む」のもこの典型。「皆まで言うな」がハイコンテクスト文化です。

対して、多様な人々で構成されている社会では、共有されている認識が少ない分、言語や態度で直接的に伝える必要があります。「言わなきゃわからん」がローコンテクスト文化。

納得しやすい。以前から言っているように、日本では説明が不要なことでも、他文化の人々には説明しないと理解されない。だから、多文化共生の時代は、「自分は何者であるか」を説明し、他人がどうして欲しいのかを伝えない限り、他人は何もしてくれないし、望まないことをやらかします。

こういう話をメルマガでよくやってました。具体的には、同性愛者が社会に対して、「同性愛者の存在を意識して欲しい」なんて主張することに対して、「んなもん、自分から言わないと、誰がゲイで、誰がレズビアンかわかるはずがねえべよ」と私は言ってました。だから、カミングアウトやプライドパレードに私は賛成。

これに限らず、日本では主張しなくても同類だからわかり合えますが、主張をしないと共生なんてあり得ない。

こういう考え方をもっと賢い言葉で説明したのがエリン・メイヤーです。

✳︎エリン・メイヤー著『異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

 

外国人の隣を避けるのは差別意識の表れではない

 

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ローコンテクストである米国では、差別的な考えをすぐさま言葉や態度に出します。ハイコンテクスト文化である日本では、ストレートには表現しない。だから、自分は何者かを説明できる余裕があり、自分は日本の方が自分らしくいられるのだとEnimさんは言ってます。

なるほどなと思ったのですが、ちょっと気になったことがあります。

彼女が電車のシートに腰掛けた際に、隣に空席ができていることを長い時間映し、アップにするところがあります。

これではあたかも「口にしないだけで、日本人は黒人を内心は差別している」と言いたいようです。

 

 

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