松沢呉一のビバノン・ライフ

言葉から見る韓国人の集団意識—文化盗用とパクリ[蛇足編6]-(松沢呉一)

「私たちの夫」「私たちの妻」という韓国の言葉遣いが示唆すること—文化盗用とパクリ[蛇足編5]」の続きです。

 

言葉に出る韓国における家族の強さ

 

vivanon_sentence私たちの夫」「私たちの妻」という奇妙にも感じられる用法が韓国で固定している理由を無敵さんが説明してくれてます

いくつかあるのですが、そのひとつは農耕民族ということです。家族総出で田植えをし、稲刈りをし、字単位、村単位で協力し合うことから、個人を確立するよりも、集団の協調、結束を優先してきたと。

しかし、農耕民族である日本ではそんな言い方はしない。古くから米作が盛んな東南アジア各国でもそんな言い方はしないでしょう。農耕が集団主義を生み出すのだとしても、それだけで韓国の奇妙にも感じられる言葉遣いは生まれなかったろうと思います。

もうひとつはそれと関わって家族制度の強さです。無敵さん以外で、「私たちの家」「私たちの家族」という言葉について解説したものを読んでも、だいたい家の強さを理由として挙げています。

日本でもかつてはそうでしたし、今も抜け切っていないですが、、「嫁は家のもの」という考え方が韓国では今も強いらしい。韓国では「私たちの夫」とも言うことから、性別を問わず、個人は家の繁栄、継続のために存在するってことです。

日本語の中に残る家族制度の名残みたいな言葉としては、「うち」があります。家を指す「うち」が「会社」「部署」「店」などにも使われます。社員だけでなく、バイトでも「うちの店は〜」と違和感なく言います。この場合は、「外」に対する「内」の意味のような気もして、語源は同じだとしても、家の意味とは切断されているかもしれない。

対して韓国の「私たちの家」「私たちの家族」「私たちの夫」「私たちの妻」の「私たち」はおおむね「私たち一家にとっての」という意味かと思います。

そのため、「家のパーツであることを表示するこのような言葉遣いをやめよう」と呼びかけている人もいるのですが、この用語は、こと家庭に留まるものではないのが厄介です。

✳︎無敵さんのコラムに添えられた韓国の古い民家の写真。中国のように、民家が高い塀に囲まれてはいないのかな。

 

 

「私の国(ネナラ)」より「私たちの国(ウリナラ)」

 

vivanon_sentence無敵さんはさらに広い範囲を含み込む言葉であることを指摘しています。「私たち」の意味の「ウリ(우리 )」は「親族全体の」「近隣の人たちの」という意味を持ちます。韓国の各家の庭は近隣の人たちが共有する空間でした。その感覚が今も残っていて、家の庭を「私たちの庭」と呼ぶ時の「私たち」、は家庭や親族を超えて、近隣の人たちを含むようです。

さらに広い意味で「ウリ」が使われます。「私たちの国」の意味の「ウリナラ」(우리나라)です。日本語においても、国内であれば「私の国であり、あなたの国でもある国」という意味で「私たちの国」と言いますが、「ウリナラ」は慣用句みたいなもんです。

「우리나라」で検索すると約7,750万件ヒットし、「私の国」の意味である「ネナラ」(내나라)は約104万件です。70対1で、「ウリナラ」の圧勝。

日本語で「私たちの国」は約1,930万件、「私達の国」は約1,910万件。「私の国」は約2,900万件です(「わたしの国」「わたしたちの国」もありますが、条件は同じなので省略)。「私の国」は「私たちの国」+「私達の国」の4分の3。韓国に比べると、両者は拮抗してます。

our country」は約2,390万件、「my country」は約6,970万件。1対3で、my countryの勝ち。

 

 

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