レイチェル・ゼグラーのフェミニズムはツイフェミと同レベル—ゼグラーへの批判を人種差別や女性差別とまとめることの間違い-(松沢呉一)
レイチェル・ゼグラー批判を人種差別でまとめることの粗雑さ
「UBIソフトの分社化で投資家も社員も混乱—UBIソフトとディズニー[前編]」に書いたように、レイチェル・ゼグラーが演技をしているところを見たことがないので、役者として好きも嫌いもないのですが、映画の外での発言や立ち振る舞い、そこから見える性格が嫌われるのは十分理解できます。
しかし、いかに嫌な性格でも、接する機会がないですから、そこまで嫌う気にもなれない。むしろ、次はどんな話が出てくるか楽しみにしていたりもします。もはや好きかも。
また、彼女の発言は発言する状況やトーンの不適切さを除けば、検討する価値がある内容を含んでいるようにも思えます。肯定する価値ではなくて、ちゃんと批判した方がいいという意味です。
以下は、「白雪姫」を巡る議論を時系列でまとめたものです。
2025年3月21日付「Entertainment Weekly」
彼女によるオリジナル「白雪姫」に対する批判は2021年6月に「白雪姫」の主演に抜擢された時から始まってます。「彼女のキャスティングは人種差別的な反発を引き起こし」とあり、以降、今に至るまでゼグラーへの批判は人種差別とまとめられることがよくあります。その側面もあるかもしれないですが、ここでの批判は肌が白いことが絶対条件のはずの白雪姫に相応しくないという趣旨であり、日本で「白雪姫」の舞台をやる際にガングロ娘を起用したら反発されるのと同じです。
そのため、スティーブン・スピルバーグ監督の「ウエスト・サイド・ストーリー」に起用された際には、そのような反発はなかったと思われます。ポーランド移民のグループとプエルトリコ移民に対立を描いてますから、オリジナルの「ウエスト・サイド物語」と同様、スラブ系やラテン系の俳優を起用するのはおかしくない。
レイチェル・ゼグラー批判を女性差別でまとめることの粗雑さ
SNSレベルでは、ゼグラーへの批判の中に人種差別と言えるような誹謗中傷が含まれているだろうことは容易に想像できますが、だからと言って、すべてがそうであるかのようにまとめるのは批判を正視しないための誤魔化しでしかなく、「アサシン クリード シャドウズ」への批判を人種差別とまとめることにも重なります。
同じく、ゼグラーヘの批判を女性差別とまとめている記事もあって、これも誤魔化しであり、杜撰すぎます。
2022年10月、彼女は以下のようにオリジナルの「白雪姫」を批判しています。
「オリジナルの物語は1937年に発売され、非常にわかりやすい。文字通り彼女をストーカーする男との彼女のラブストーリーに大きな焦点が当てらされています。おかしい!おかしい! だから今回はそれをしなかった」
「映画に男をキャスティングしたことで、多くの人がラブストーリーだと思い込んでいることに対して、私たちは別のアプローチを準備しています。アンドリューのシーンはすべてカットされるかもしれない」
「私たちは、白雪姫を完璧に描きました(「構想した」という意味でしょう)。つまり、王子様に救われることも、真実の愛を夢見ることもない。彼女は、自分がリーダーになれると確信しました。亡くなった父が、恐れ知らずで、公正で、勇敢で、誠実であればなれると教えてくれた通りのリーダーになることを夢見るのです」
———2023年8月15日付「INDEPENDENT」
(残り 1802文字/全文: 3253文字)
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