限界突パ

楽天・浅村栄斗はあの夏、スーパースターになった。「自分のプレーを出していく」

ことしも夏の風物詩「甲子園」が開幕した。プロ野球選手のほとんどが高校野球を経験し、この舞台を目指してきた。甲子園出場を果たせた選手、念願叶わなかった選手がそれぞれいるが、彼らにとって「甲子園」はどんな意味を持ったのだったのだろうか。今月はプロ野球選手にとっての「甲子園」を中心にお送りしていく。第2回目は7月の月間M V Pに輝いた楽天の浅村栄斗選手をお送りする。(取材・文 氏原英明)

それはもはや手のつけられない怪物だった。
高校生がスーパースターへの階段を昇って行くかのようなそんな姿だった。

第90回大会全国高校野球選手権のことである。1回戦の日田林工戦で4安打をマークした大阪桐蔭の浅村栄斗(現楽天)は2回戦の金沢戦でとてつもない怪物になった。

見せ場は4−5の1点ビハインドで迎えた8回裏だった。劣勢を強いられていた2死走者なしの場面で打席に立った浅村は初球をフルスイング。打った瞬間にそれとわかる打球で、その刹那、彼はガッツポーズを作ったのだった。

あまり感情を表に出すタイプでない男の激しい自己表現に、何かが弾けたように見えた。
高校野球の中でもなかなか見ることのできない光景だった。

試合は延長戦までもつれたが、10回表の守備では二遊間に抜けそうな打球を左手一杯に伸ばして捕球すると身体を1回転して矢のような送球を一塁に投げ込んだ。攻守両面でとてつもない才能を見せたのだった。

この日を境にして、浅村のプレーレベルはどんどん上がっていった。
大会通算29打数16安打2本塁打の成績もさることながら、プロに上り詰めてスタープレイヤーになるまでの浅村がこの時、形成されていったような印象さえする。

そんな浅村を見て思うのは、人はきっかけ一つで生まれ変わることができるということである。

そもそも浅村はその能力は認められていたものの、プレーに安定性がなく、チームからの信頼を得られない選手だったからだ。中田翔(巨人)、岡田雅俊(西武)が1学年上にいて、浅村が2年の春、大阪桐蔭は優勝候補の一角としてセンバツに出場しているが、実は浅村はそのチームではレギュラーでも、ベンチ入りメンバーすらできなかった選手だったのだ。

当時の浅村には何があったのか。

大阪桐蔭の西谷浩一監督が話す。

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