3週間だけの米国留学の体験を糧に――西武ファーム投手コーチ、大石達也の理想の指導者像<SLUGGER>
BPかなぁ。
現役生活に終止符を打つことを決めていた大石達也は、引退後の身の振り方をおぼろげながら想像していた。
「そんなに教えるのは向いていないのかなと思っていたので、バッピかな。それか、スコアラー。自分はそっち方面の仕事に就く人間かなと思っていました」
2010年のドラフト会議で、5球団競合の末に西武に入団した大石。その9年後、通算132登板で5勝6敗、8セーブ/12ホールドで現役を引退した。
しかし、引退当初の自身の想像と、大石のセカンドキャリアは思いの外、異なる方向へ向かっていった。それは球団からある提案を受け入れたことが発端になった。
「戦力外になってその後どうするかと聞かれて、引退しますと答えたんですけど、その時に、メッツと業務提携をしていて、留学の話があると。コーチになるために勉強しにいくというのではなくて、向こうのコーチングを学ぶという意味でのものだと聞いて、面白そうだなと思いました。なので是非行かせてくださいと言ったんです」
自分が将来コーチになるために行くのではなく、アメリカの組織や環境を勉強できるからと、大石は20年3月に海を渡った。
ところが、いざメッツのマイナーキャンプに合流すると、ユニフォームを渡された。二、三日現地のコーチの後ろをついて回った後「頼んだぞ」と言われ、はからずも指導者の役割を担うことになったのだった。
高校生に教えるような基本的なことばかりだったが、それでも日本でコーチ経験のない大石にとっては突然の修行だった。それも、1ヵ月も経てば通訳が帰国することになっていたため、その後は英語で指導しなければならなくなるおまけまでついていた。英語が喋れるわけでもなかった大石は、いきなりとんでもない環境に身を置くことになっていた。
「どうやって教えるかどうかの問題じゃなくなっていましたね。とにかく、英語を覚えなくちゃいけない。英語の勉強に必死でした。みんなの前でスピーチしろとも言われましたし、通訳がいなくなるまでは、自分で教えようと思うことをまとめて、通訳に英語にしてもらって、それを話すというようなことをしていたんです」
おそらく、これを大石が一年続けていれば、また違った人生観になっていたかもしれない。しかし、残念ながら留学は3週間で終了した。新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るったからだ。
たった3週間ととるか、貴重な3週間ととるかは捉え方次第だろう。取材を申し込んだ時は「僕なんかが出ていいのか」と謙遜していたそうだが、取材を進めていくと、大石はその体験を絞り出してくれた。
「まずは規模が違いますよね。球団の施設の大きさもそうですけど、スタッフの人数も違いましたし、そこが一番ですね。マイナーの環境に関しては、上手い人が上手くなるシステムというか。日本だと練習中にエラーしたり、できないことがあると、その選手は残るじゃないですか。できた人から抜けていく。でも、アメリカは逆で、できない人は練習をさせてもらえない。その違いは感じましたね」
厳しい環境がそこにはあった。
人間の成長レベルは人それぞれだが、ある一定のラインのプレーは必要とされる。アメリカは押し並べて全体の練習時間が短い。個人の自由な時間が多い分、そこにあるのは「責任のある自由」だ。
一方、コーチングに関しては意外なものを発見したと大石は言う。
「意外に細かいなと思いました。たとえば、ブルペンでの球数。もちろん管理されているんですけど、それだけじゃなく、投げる球、球種、投げる順番、すべてが決まっていた」
ストレートを5球ほどを投げ、次は高めのカーブを5球。その後、外にチェンジアップ。そんな具合だ。当然、そこには意図がある。ピッチングコーチはそこまで綿密に、計画的に育成することが必要だということだ。
日本では球数を管理するケースはほとんどないし、どんな球を投げるかも選手自身で決める。育成における日米間の指導法を感じずにはいられなかった。
そうして、アメリカの指導法を見ていて、大石自身、感じたことがある。
「マネジメントをする側と、投球フォームを教えていくコーチは別にした方がいいんじゃないかなと思いました。いわゆるコーチという人の役割というのは、ローテーションを決めたり、そういうことなのかなと。投球フォームに関しては『こうなってるよ』と専門的な知識から伝えることができるバイオメカニクスの専門家が言うのがいいのかなと。元選手だった人が教えるとなると、経験則が入ってくる。そうなると、選手によって、合うことと合わないことができてしまうので、戸惑うと思うんですよね。フォームに関してはデータとかバイオメカニクスの方が選手は納得するんじゃないかな」
帰国してから、大石はある程度の理論を知る努力はしてきた。それはアメリカに行っての一つの成果にはなったし、勉強したからこそ専門家のアドバイスがいかに大事かも理解したのだという。
だから、今も指導にあたる際には自分の感覚で選手にアドバイスすることはない。ひとまずバイオメカニクスの専門家に相談し、自分の考えていることと専門知識のすり合わせをしてから選手に話すという。
「帰国してからコーチになった時に、トレーニングなどの理論は勉強しました。なので、自分の知識もついてきているけど、それを選手に言うのではなくバイメカグループの人に『こう言うことですよね』と聞きに行きます。もちろん、一致したりしなかったりもあるんですけど、それを聞いた上で、選手と話します。時には、僕は入らずに選手と直接話してもらう時もあります。そうしてみて思うのは、僕から言われるよりも、納得しているなと言うのは感じるんです。だから、僕はバイオメカニクスグループを活用しています。そこはアメリカで学んだことかな」
マイナーリーグではピッチング練習の際に、投球を分析する機器ラプソードが使われ、たくさんの専門家が助言を与える。投球するたびに回転数や回転効率などの話をして、改善を試みるという。また、球団施設にはバイオメカニクスやアナリストたちの部屋もあり、そこに選手たちが相談に来ることも多々あるそうだ。
たった3週間の体験だったが、大石は日本とは異なる光景を見ることができた。
「コーチになる人に限らず、誰が体験しても絶対プラスになる」と、大石は留学の効果に太鼓判を押す。
少なくとも大石には、今まで感じたことがなかったブルペンでの細かな計画やコーチの役割分担という視点が生まれたわけだから、自身にしかこなせないポジションが一つ出来上がったと言えるかもしれない。コーチに向いていないと思っていた彼からすれば大きな変化と言えるだろう。
「選手に近いコーチでいたいなとは思います。元々はコミュニケーションを取るのは苦手なタイプでしたけど、たわいもない話でもいいので、選手に寄り添えるようになりたいですね。本当に、選手が良くなってくれたらそれで嬉しい。試合で抑えたり、勝ったりしている姿を見ていると本当、自分の時より嬉しいですね」。
かつて大学野球界を騒がせた剛腕は、プロではその才能を開花させられなかった。だが、今はコーチとして、第二の人生を歩み始めている。
たった3週間なのか、貴重な3週間だったのか。
その答えは、彼のコーチ人生が導き出してくれるに違いない。(2023.6.14「slugger」)
取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)
【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園は通過点です』(新潮社)、『baseballアスリートたちの限界突破』(青志社)がある。ライターの傍ら、音声アプリ「Voicy」のパーソナリティーを務め、YouTubeチャンネルも開設している。
編集後記
(残り 308文字/全文: 3610文字)
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