限界突パ

【検証2024 西武④】最下位独走の西武がついに決断。突然の松井稼頭央監督の休養発表の裏側。

パ・リーグ最下位に終わった西武。シーズン中の監督休養、GMの兼任、緊急トレードなど後ろ向きなニュースばかりだった2024年。シーズン100敗は免れたものの、西武の歴史の中でも記憶に残るシーズンだったのは間違いない。それでもスタジアムを埋め尽くした観客、最後の最後までチームを見守ったメディアなど、まだチームに対する期待があると言える。「こんな成績でも期待してくれているのかなと。だから、来年は喜んでもらいたい」と語ったのはキャプテンの源田壮亮だ。しかし、シーズンを振り返らないことには未来はない。なぜ、優勝を目指していたチームはこれほどに低迷したのだろうか。その検証をお送りする。第4回目は「松井稼頭央とはどんな監督だったのか」

衝撃の一報を知ったのは、アドバイザーをしている高校野球チームの練習試合を終えて帰宅したばかりの頃だった。

予感があったわけではない。なぜなら、その日、いわば5月26日の対オリックス戦は、西武が8回裏に鮮やかな逆転勝ちを収めていたからだ。筆者は練習試合の会場だった狭山市から試合の様子を動画で見ながら「まだ巻き返せるか」という淡い期待抱いて家に戻っていた。ところが、、、

「松井監督が休養になったらしい」。

現地の取材陣からそのような連絡が入ると日刊スポーツがその一報を報じていて一気に大騒ぎになった。

そこからベルーナドームへ向かうと、松井監督の休養と渡辺久信G Mの監督代行就任がすでに発表されていて、記者会見も終わっていた。筆者ができたことは松井監督の最後の肉声を聞くことと、渡辺監督代行の帰りを待つことだけだった。松井監督は重い口を開いた。

「結果としてこう出ているわけですからね。もちろん、もっとできたとかいろいろ思われるかもわかりませんけど、そのとき、そのときで自分の中ではベストを尽くしてきました」

言葉少なに語った松井監督はそう話してクラブハウスを後にした。寝耳に水といった表情で落胆する元指揮官の背中からはいつもの軽やかな足取りは消えていた。

改めて松井稼頭央という指揮官はどういう人物だったのだろうか。

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