教え子に指導者多数!京都成章・松井常夫前監督の教えとは
昨夏限りで京都成章の監督を勇退した松井常夫監督。大学卒業を卒業してすぐに京都成章高の指導者となり、1998年夏には部長として甲子園出場を経験した。2005年から監督となり、甲子園に2度出場。還暦を迎えた昨夏に京都成章出身の小牧憲継監督率いる京都国際に敗れて、監督生活にピリオドを打った。
現在は総監督として、新たに就任した志賀厳監督を支えている。教え子には京都国際の小牧監督や宮村貴大部長、開建の野口知紀監督、福知山成美の審研人など指導者して活躍する人も多い。その理由や37年の指導者生活で大事にしてきたことなど、ざっくばらんに語ってもらった。
プロフィール
松井常夫(まつい・つねお)
1964年5月29日生まれ。京都府京都市出身。桃山高-京都教育大。88年に京都成章高のコーチとなり、翌年から部長。98年に甲子園準優勝を経験。2005年から監督となり、11年春と17年夏に甲子園出場。昨夏で監督を勇退して、現在は総監督を務めている。保健体育科教諭。
最後の夏は教え子と対戦
――まずは監督生活お疲れ様でした。実際に終わられてみて、どう感じますか?
「長いことやらせてもらいましたね。やっていた時は1年、1年と続いていくので、落ち込んだり、悩んでいる間がないというか、野球はサイクルが続いていくように上手くなっていると思います。夏の大会が終わったら、もう1ヶ月後には秋を懸けた新チームの戦いが始まるというサイクルがずっと続いていくから、指導者の人も終わったら、また次が始まるしというので、ずっと続いていきますからね」
――60歳で監督を退任するというのは、元々決められていたのですか?
「今の2年生が中学3年生の時から、『俺が60歳で、最後の夏の大会になるから』ということで、生徒もわかっていました。獲ってきた人と監督が代わると、マイナスなイメージを持たれたり、上手くつながらないことが多いでしょ?だから、今の2年生からは志賀君が獲ってきているし、僕は獲る獲らないの判断を全くしていません。親も子どもも納得しているし、凄く良い感じですね」
――最後の夏は初戦で京都国際と試合をすることになりましたが、どう感じましたか?
「『上手いこと引いてきよんな』と思いましたよ。やるなら、上でやりたかったなって。うちも良い感じで仕上がっていたので、手前味噌になるけど、まあまあのところまでは勝ち上がれると思っていたから、そういうところでやれたら良かったなとは思っていたけど、まさか初戦とは…」
――京都成章の選手を見ていると、この試合に懸ける強い想いを感じました。
「やっている時はそんなにわからないけど、『力以上のものを出しているのがよくわかった』と言ってくれる人が多かったから、それは後から聞いて、嬉しかったですね」
――結果的には教え子と最後の試合ができて、そのチームが甲子園で優勝しました。
「京都国際が甲子園に行ってほしいし、凄いことが起きるんじゃないかと、何の意味もなく感じましたね。『こいつら日本一にでもなるんちゃうやろか』と。こんな偶然が重なるなんてないから。その後も苦しい試合があったけど、何とか甲子園までたどり着いて、ええ野球をしてくれたと思います」
――あの試合の後に京都成章の選手たちが京都国際の応援に行っていたのが印象的でした。
「それも不思議なご縁で、うちのやつらはけっこう負けたチームの応援に行くんです。国際には甲子園に行きたいと純粋に思ったんでしょうね。次の試合から、誰かは必ず行っていました。国際の保護者にも凄く気に入ってもらっていて、ジュースやパンを貰ったり、甲子園が決まった時も『ぜひ応援に来てほしい』とハチマキまでさせてもらったいました。そんなことをずっと続ける年は珍しいし、小牧も自分たちの後輩だし、特別な想いがあったんじゃないですかね。『応援に行きたい』と選手が行った時に『行きなさい』と僕も言いました。2017年夏にうちが京都大会の決勝に行った時にうちに負けたチームの選手が応援に来てくれました。それは嬉しかったし、ありがたかったです。あいつらもそれをやってくれていたんだと思います」
――それは松井先生の教育の賜物のように感じます。
「難しいことは言っていないけど、やっぱり自分だけじゃないというか、人を応援する気持ちがなかったら、自分らも応援してもらえないしね」
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