21世紀生まれ初本塁打の裏には秘密兵器の存在が!彦根東OBの高内希が会心の一発を振り返る
7年ぶりに滋賀県勢が複数出場を果たした今春のセンバツ。その7年前に彦根東を初戦突破に導いたのが主将の高内希である。慶應義塾との2回戦、1点を追う8回表に二死一、三塁から左翼ポール際に逆転3ラン本塁打を放ち、これが決勝点となった。
あの活躍から7年、当時の甲子園の思い出を振り返ってもらった。
プロフィール
高内希(たかうち・のぞみ)
2001年2月19日生まれ。滋賀県近江八幡市出身。中学時代は滋賀野洲ボーイズに所属。彦根東高では主将として3年春の甲子園に出場。初戦の慶應義塾戦で逆転の3ラン本塁打を放ち、勝利に貢献した。高校卒業後は一浪して大阪市立大(後に大阪府立大と統合して大阪公立大)に入学。4年春には正捕手として全日本大学野球選手権初出場に貢献した。就職活動のために大学を1年留年するも志望していた大手食品メーカーから内定をもらい、4月から晴れて社会人となる。
前年夏の悔しさを乗り越えての甲子園出場
大阪駅で待ち合わせをしたのだが、高内が金髪になっていて驚いた。本人曰く、「今しかできないので」とのこと。野球部時代や社会人になってからはできない髪型を満喫しているようだ。
さて、話を本題に戻そう。前年夏にチームは夏の滋賀大会を制して、甲子園でも初勝利を挙げている。高内は滋賀大会こそ背番号18でベンチ入りしていたが、甲子園ではベンチ外。当時はまだベンチ入りの人数が18人で、地方大会から2人外れることになっており、その2人に高内が該当した。
甲子園でのメンバー外と同時に新チームで主将になることを当時の村中隆之監督から告げられる。新チームに向けて、メンバー外の下級生をまとめる役割を任されることになった。重要な役割を任されたとはいえ、やはりショックは大きかったようだ。
「めちゃくちゃショックでしたね。だって、こんなチャンスないじゃないですか。『甲子園に出られるチャンス逃してもうた』みたいな感じで、お先真っ暗でした」
まだ甲子園に出られるチャンスが2回残されているとはいえ、出場できる保証はない。それだけにセンバツ出場を決めた時は「めちゃくちゃホッとしました。僕は目の前で夏を逃しているので」と安堵した。
初戦の相手は慶應義塾。「神奈川やし強そうやな」と思った程度で、あまりピンときていなかったようだ。慶應義塾といえば、2023年夏の甲子園で優勝した時に応援の凄さが話題になったが、当時の彦根東はそれに負けないくらいの大応援。何人かは雰囲気に呑まれる選手もいたが、「甲子園ってこんなもんか」と高内は感じていた。
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