変わりゆく軍隊野球━━鹿児島実・宮下正一監督「変革と不変の狭間で」①
「いろいろ考えるきっかけになったことがあって。それは、コロナですね。あのコロナ禍を経験したことで、変わらない人はいなかったと思いますよ。コロナ真っただ中に中学生だった世代が今の高校生です。そういう社会環境の中で育ったこともあって、声が小さかったり、挨拶ができなかったり、人前で声を出したりということが苦手な子が明らかに増えましたよね」
甲子園をも中止に追い込んだコロナ第一波が押し寄せた2020年の春、宮下監督は県外から入学してきた新入生とホテル暮らしをした。保護者の中には“県外出身者だけホテルに隔離されるなんて、まるで腫れ物扱いじゃないか”という心情を抱く人がいたかもしれない。そういう親の立場に立って考えた結果、野球部とサッカー部の監督がホテルに同宿し、野球部、サッカー部、陸上部、ラグビー部などの1年生と共同生活を送ることとなったのである。
「彼らは入学式にも出席できず、ゴールデンウイークが終わるまでは学校にも行けず、ホテルからも出られない缶詰状態だったのです。こっそり散歩に連れていったりはしていましたけどね。そこで普段ではできないような会話を、彼らとはたくさんしましたよ。野球部は5人だけだったのですが、ホテル住まいが解除された後に他の部員が『あの5人は監督さんと仲良く喋っている。俺たちはろくに喋ったこともないのに。なんだ、あいつらは』と言って羨ましがっていたそうです。今はさすがにそんな空気ではありませんが、私自身は昔に比べて明らかに子供たちをいじる機会が増えたというか、そういう会話ができるようになってきたというか。ちょっと笑わせてやろうか、いじってやろうか、と思うことが増えてきました。まわりからもよく『目つきが柔らかくなりましたね』と言われるんですけど、その通りかもしれませんね。子供たちの気持ちになって考えるという経験をたくさんしてきた結果だと思います」
コロナ禍では遠征に関するルールが設けられ、練習も時間や人数など様々な制約が設けられた。当たり前の日常を送ることはできないという意味では、鹿実のような名門校、野球強豪校も例外ではなかった。しかし、先述した“直のコミュニケーション”の他にも非日常がもたらした副産物はあった。
「練習のコンパクト化を厭わなくなりましたね。あの頃は時間が限られた中で練習をしていましたから、今でも短い練習に慣れている部分があります。以前みたいに長時間でやらなくなりましたよ。コロナ禍では短い練習の中でどれだけ詰めてやれるかということをずいぶん考えたし、短い時間でも詰め方によっては確実に上がっていけるということも分かったのでね。だったら、そっちの方がいいだろうと。一日中ダラダラ練習するよりも、3時間、4時間、5時間というふうに決めてやった方が効率的だし、それでもチームは出来上がる。それを実証できたことが、私の中でも自信になりました。その点では、鹿実の野球部も子供たちが求めている形に近づいているのかなと思いますね」
新型コロナによって甲子園を奪われるという、100年に一度あるかないかの歴史的悲劇に見舞われた子供たち。その気持ちに同化したことで、宮下監督は多くの引き出しを手に入れたのだった。
つづく