正直、感情をあらわにする野球が好きなんです━━あと一歩の壁①熊本国府・山田祐揮監督(後編)
母校の熊本工に「春夏連続の甲子園出場」を阻まれた熊本国府・山田祐揮監督。決勝では圧倒的な熊本工の気迫に触れ、山田監督の中にはチームづくりに対するひとつの考えが芽生えたという。
結果を残したスタイルの継承か、それとも思い切った改革か。今回の準優勝で揺れはじめた、31歳の若き指揮官の本音に迫る。
初戦3日前に打線を解体
━━今年はセンバツから春の九州大会を経て夏に向かっていきました。つまり、甲子園から甲子園へという、学校にとっては未知の数か月間を過ごしました。この間の調整は順調でしたか?
「6月中旬ぐらいまでは順調に来ていたのですが、それ以降は雨が多くて練習試合をほとんど消化できませんでした。6月22、23日と29、30日の週末。このうち3/4が雨で中止となってしまったのです。いろいろ試したかったこともあったのですが、その機会がことごとく奪われてしまって。そのあたりから、ちょっとザワザワしはじめましたね。最後の6月30日は坂井、植田の完封リレーで県外のチームに1-0で勝つことはできましたが、守りは投手を中心に及第点も攻撃面は久しぶりの実戦ということもあって、まったく振るいませんでした。その翌週は土曜日が開幕で、その翌日に最後の練習試合を行いましたが、そこで負けてしまうんですよね。しかも、坂井と植田が点を取られるという、あまりいい負け方ではありませんでした。初戦の3日前ですよ。打つ方もイマイチだったので、僕はその試合を機に春先から作ってきた打順を解体し、九州大会を制した昨年秋のものに戻したのです。要するに、打順に関しては本番の3日前までしっくり来ていなかったということです」
━━春の甲子園に出場したわけですから、周囲の期待は当然大きかったはずです。正直、それが焦燥感を煽った部分もあったのではないですか?
「去年秋の時点で、今年の夏はそういう状態になるだろうなと思っていたので、そうならないように気持ちの準備だけはしていました……。
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