【高校】故中村定史・松工元監督をしのぶ会に130人
昨年11月17日に亡くなった松本工業高硬式野球部元監督の中村定史さん(享年76)をしのぶ「お別れの会」が2月9日、松本市内のホテルで催された。教え子や高校野球関係者、友人ら約130人が出席し、中村さんの人柄に触れつつ感謝の思いを伝えた。
↓ 中村監督をしのんだ、お別れの会
OB会の役員有志が発起人となり開催。元OB会長で松工では中村さんと同期だった古屋章司さんは発起人を代表し「中村監督は厳しく誠実な姿勢で指導に当たってきた。高校野球、松工野球部の発展のため天国より見守ってほしい」と挨拶した。
教え子で元日本ハムの丑山努さんらがお別れの言葉を述べたほか、教え子で元阪神の御子柴進さんはビデオメッセージを寄せた。
中村さんは1948年、東筑摩郡朝日村出身。松工では主に捕手で、日体大でもプレー。大学卒後、母校の監督に就き、一時池田工の勤務を経て、2015年9月まで2期通算35年、松工の監督を務めた。10年には松工を初の甲子園に導き、14年には日本高野連の育成功労賞を受賞している。教え子は約600人。公式戦164勝122敗。指導モットーは「進路先でも通用する力を鍛える」。
↓ 初優勝後、インタビューに答える中村監督(2010年)
↓ 育成功労賞を受ける中村監督(2014年)
<出席者のコメント>
松商学園元部長・望月登さん(ライバル校でありなから親交が深く、飲み仲間でもあった) 「気持ちのいい男だったね」
駒ヶ根工前監督・甕力教諭(OBだが在学中、中村さんは池工勤務。教育実習やその後の練習試合で世話になる) 「OB会に出席した際にも心配していただき、練習試合では『強いとか弱いとかではない』と時間などに厳しく指導いただいた」
長野松代総合病院・大熊慎也さん(甲子園出場時の2年生捕手。拓大で主将。昨年度まで松代病院でも主将。国スポ県代表メンバー) 「言葉で分かりやすく伝えていただき、心にすっと落ちてきた。目上の人への態度や仕事(野球)への向き合い方は今も生きている」
↓ 甲子園出場時のバッテリー、柿田裕太さん(右、元DeNA)と大熊さんも登壇し感謝を述べる
JFE西日本・筒井恒匡さん(社会人4年目、昨年日本選手権4強に貢献) 「中村監督には1年生のときだけ指導いただいたが、基礎基本をとことんやることを学んだ。今年は都市対抗4強入りに貢献したい」
上田千曲監督・古屋慎司教諭(中村監督の教え子。指導者になってからも母校で中村監督の下、部長など9年間過ごす) 「真っすぐで妥協せず、決してあきらめなかった。周りの評価で自身を変えることがなく、私が指導者になって隣にいて本当に人を大事にされていると感じた。今も指導で困ったときは『中村監督なら何と言うか』と重ねて考えている」
↓ 2015年夏、校歌を聞く中村監督(中央)。右は古屋部長(当時)