戦前戦後のステッキガール-ノガミ旅行記 [6](松沢呉一)-5,991文字
「松坂屋にもパチンコ屋にも-ノガミ旅行記 [5] 」の続きです。この回の内容は『闇の女たち』と相当ダブっているのですが、こちらの方が細かく、引用も多いため、全部カットするのは忍びなく、そのまま残しました。
ステッキガールとは?
前回出てきた伊藤晴雨の文章に出てくる「ステッキガール」とはなにか。とくに昭和初期、「○○ガール」という呼び名が流行って、ステッキ・ガールと呼ばれる女たちがいたことをよく本や雑誌で見る。
モガ(モダン・ガール)、モボ(モダン・ボーイ)がその始まり、それを真似て、スガ(ストリート・ガール)と称したものもある。しかし、毎夜、商売をしていたわけでなく、性的に放縦だったモガの一部が金をもらうこともあっただけのようである。
ステッキガールは街娼とはまた違い、金をもらって、一緒に銀ブラしてくれる女性のこと。ステッキ代わりというわけだ。
「モガ」「モボ」という言葉は大宅壮一と新居格による造語であり、「ステッキガール」もまた大宅壮一の発案から発展した言葉である。大宅壮一はすぐれたコピーセンス、言語センスの持ち主だったことがよくわかる。
社会主義者の集まりである「日本フェビアン協会」のメンバーだった大宅壮一は、その集まりの案内文で、同伴する女性を「ステッキ」と表現した。これにガールがついて、やがては銀座に出没するとして話題になっていく。と同時に「実在するのかどうか」という議論も高まる。
実在したのか否か
酒井潔著『日本歓楽街案内』(成光館書店/一九三一・昭和六年)によると、ステッキガールという言葉は欧米にまで紹介されたそうだが、酒井潔はこの実在を確認できておらず、酒井潔が友人の女性に入れ知恵をして、彼女が新聞社の人間相手にステッキガールを演じたという話を書いている。また、スピーキングガールと言って、ただ話し相手になるだけの女もいたとされるのだが、酒井潔は雑誌が書いたヨタ記事で、こんな存在はいないと断じている。
こんな記述もある。
ステッキガール、円タクガールが創作と空文で生まれて消えたが、マッチガールだけは確かに、ハッキリと実在して、春のギンザステップ群に、時に御目見得する。
西尾信治著『東京エロオンパレード』(昭文閣書房・昭和6年)
ここでもステッキガールは創作であると見ている。なお、マッチガールというのは、宣伝用のマッチを手にして街頭に立ち、客引きをするカフェーの女給たちのことである。
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