松沢呉一のビバノン・ライフ

松坂屋にもパチンコ屋にも-ノガミ旅行記 [5](松沢呉一)-5,108文字

「今もいる家出少年少女たち-ノガミ旅行記 [4]」の続きです。

 

 

だんだん怖くなってきた

 

vivanon_sentence以下は毛利英兒「上野はコルトに濡れて−東京の顔・ラッキーお春の巻」の冒頭の一説。

 

星ひとつ出ていない闇の中で、ダアンと頭の芯を突き差すような爆発音が鳴り響いた。

「ピストル?」

私は彼女をかかえている左の腕に力を入れて声をはづませた。

「うん、コルト銃よ。」

彼女は軽くうなづいてから

「ね、やまおりましょうよ。うるさくって、いやあよ……」

「とりもの?」

「さあ、どうだか。あちしたちの知ったことじゃないわ。毎晩よ、パンパンって撃ち合い。ああ、上野はコルトに濡れて……か」

「ナンバーワン」第一巻第四号(1947年・昭和22年12月/ナンバーワン社刊

 

 

この文章、ちょっと泣かせる。取材だったはずが、ヴェルレーヌや北原白秋の詩を口にするパンパンのお春さんに惚れてしまった著者は、三度まで会いながら、狩り込みのために思いを伝えられぬまま行方不明になってしまったお春さんの姿を追い求める。結局見つからず、男娼に「パン助にほれるなんて、あんたも純情ね……」と言われるところで終わる。ああ、ラッキーお春は今何処に。

創作だと思うのだが、案外こういうドラマが当時はあちこちで繰り広げられていたのかもしれない。

戦地から持ち帰ったものも多く、今より拳銃による犯罪が頻発していた時代のことであり、横浜や神戸を舞台にしたものでも拳銃はよく登場するので、ノガミに限ったことではないのだが、今では想像IMG_6534できないくらいに物騒な場所であったことは間違いない。

今じゃコルトの銃声は聞こえないが、上野には西側で長閑に暮らしている人間にとっては危ない部分がまだ残っていて、歌舞伎町とはまた違う感触がある。私はおっちょこちょいだから、どこにでもすぐにズケズケと入り込んでしまうが、安易に近づかない方がいい人達についても、千鶴さんは教えてくれた。

「人を殺すのを何とも思っていないような人達だっているんだから」

だんだん怖くなってきた。殺されるのが怖いんじゃなくて(そりゃ殺されるのも怖いけれど)、普段の生活の中で見えない世界が、こんなとこにシッカと存在していること。千鶴さんがいなければ、ここに来ていてさえ見えないものが、見えるものと紙一重のところにあること。上野だけじゃなくて、きっとどんな街でも、SFの多次元宇宙みたいに、いろんな世界がひっそりと、でもそれぞれに活気づいて錯綜しており、そのひとつふたつしか私なんぞは見ていないんだろう。そんなことに気づいてしまったことが怖かった。

 

 

怖い上野

 

vivanon_sentence上野と言えば動物園や美術館、博物館といった施設が思い浮かぶ。文化的な上野の顔だ。しかし、千鶴さんが言うように、皮一枚剥ぐと怖い顔を簡単に覗かせる。

戦後まもなくは、この怖い面がそこかしこに露呈していた。

遠くで銃声が鳴るだけならまだいいが、金を払わないまま逃げる、さばかりか金を奪って逃げる輩もいて、街娼が殺されることも珍しくはなかった。

 

 

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