見世物奇談・保奈美の初恋 第二幕-[ビバノン循環湯 131] (松沢呉一) -3,316文字-
第一幕はこちら。
第二幕
放生会の初日、月花組は二十ステージをこなした。初日は午後一時から午後十一時までの十時間。つまり1ステージ平均三十分しかない。本来の尺である四十分より十分短縮されていて、それだけ客が多かったことを意味する。
話に聞いていたとは言え、予想以上に苛酷なステージに音を上げそうになりながらもやっと初日を無事終えて、もっとも安堵していたのが佐々木孫悟空だった。
彼は、他のメンバーと違い、月花組に参加するのはこれが初めてである。短時間でステージをこなしていくことにも馴れず、毎回客の入りを見て尺を変更することにも戸惑う。見世物小屋の客を読むにも時間がかかる。
そのことだけじゃなく、彼には彼特有の不安があった。
見世物で佐々木孫悟空が演ずるバーゴンは、ミャンマーの密林で発見された原人である。歴史になんら記録を残していないが、テレ朝の「川口浩探検隊」がミャンマーでその存在を確認した。
ここから名前をつけたと佐々木孫悟空は言うが、川口浩探検隊がバーゴンを発見したのはフィリピンのパラワン島であり、原人ではなく猿人。ミャンマーの原人はバーゴンではなく、ナトゥーであり、これを発見したのは藤岡弘探検隊。
うまく持ち上げて格闘しているように見せているが、あのワニは死んでいると思われる。
あっちもいい加減なら佐々木孫悟空もいい加減。
ともあれ、バーゴンは、子どもの時に日本に連れて来られ、銀子夫人のペットになったという設定になっている。
バーゴンは知能が低いため、言葉は話せない。サルのような奇声を上げるだけだ。しかし、人の話す言葉はある程度理解はできるので、言葉に反応して頷いたり、首を振ったりして意思表示することができるし、笑ったり、怒ったりの表情を見せもする。
銀子夫人の命令には服従するのだが、ジャングルにいた時の野生が甦り、時折凶暴な態度を見せて、客を怖がらせる。
バーゴンはかつての生活そのままに今もムシや魚を生で食べる。これが銀子夫人の餌付けショーの面白みであり、客が期待するところである。
佐々木孫悟空が得意とする虫食い芸は、場によって、客によって反応がまったく違う。キャー、ゲーッと言いながらも楽しんでくれる人もいる。キャー、ゲーッと言いながら本気で気持ち悪がる人もいて、時にはトイレに駆け込む光景も見られる。こういう人たちがいた方が場が盛り上がる。客を不快にすることで完成する、ねじれた芸なのである。
しかし、これが行き過ぎると、空気は冷めきり、二度と呼ばれない。危ういバランスの上に成立しているのだ。
馴れた人たちが相手だと、キャーもゲーッもなく、すんなり受け入れられてしまうこともある。彼の芸はすんなり受け入れられたら終わりだ。食べ物をおいしそうに食べていることをそのまま受け入れられては芸にならない。
そういった客のために、孫悟空は食虫大学という別の切り口のイベントを展開していて、ここでは昆虫学者を呼んで虫を食べることの意味を真剣に論じたり、虫料理を客席の人たちも楽しめる趣向にすることで、単に気持ち悪がらせるのではないエンタテインメントを提供している。
原人というキャラも、ただ虫を食べるだけではない演出として、孫悟空がこのところ何度か試みてきたものだ。同じくゴキブリを食べたとしても、原人というバカバカしい設定で笑いをとれるし、虫を食べなくても自分をアピールできる。
※食虫大学で歌う佐々木孫悟空
見世物はそれらの場とはまた違う位相にあり、それらとは違う客が来る。ただ気持ち悪がられたのでは芸にならない。吐こうにも吐ける場がないので、見世物小屋で吐かれたらシャレで済まなくなる。
しかし、「異界からはみだしてきた原人なのだから」ということでゴキブリを食べることに意味付けができるので、その気持ち悪さが緩衝されるのではないかとの計算もある。自分と同じ人間がゴキブリを食べるのは許せないが、原人が食べるのは仕方がない。
それを銀子夫人が飼っているという演出をすることによって見世物における異界の前提を共有させられる。
もしそれさえも拒絶されたら、虫食いを抑えて、原人キャラを前面に出し、別の方向で笑いをとることもできる。
とは言え、原人バーゴンというキャラは、これまで佐々木孫悟空のことをよく知っている客の前でやってきたものであり、孫悟空を知らない客に受けるのかどうかわからない。逃げ場にはならないかもしれないのだ。
※寄生虫博士・藤田紘一郎も佐々木孫悟空の理解者の一人。寄生虫研究者も、寄生虫を自分の体の中に入れて観察をすることがあるので、通じるところがあるのだと思う。
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