見世物奇談・保奈美の初恋 第四幕-[ビバノン循環湯 133] (松沢呉一) -2,900文字-
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第四幕
四日目。折り返しだ。
準備を始めていた呼び込みのスタッフは、連日来ている例の女の子がもう見世物小屋の前をうろうろしているのを見つけた。
彼は前日楽屋で演者たちが彼女のことを話していたことを知らなかったのだが、彼は彼で、その存在に気づいていた。
その女の子が何歳であるのか、何年生であるのか、どういうものか、最後まで誰も聞いていないのだが、このスタッフは身長から「小学一年生、あるいは二年生くらいかな」と想像していた。明るい太陽のもとで彼女を何度も見ているのは外のスタッフだけであり、小学一年か二年という彼の読みが正しいのかもしれない。
「誰が目当てなのかな」と彼は女の子に聞いた。子どもの頃の女の子たちは大人の女性に憧れる。華麗に空中を舞う浅葱アゲハなのだろうと彼はなんとなく思っていた。
「アゲ子さん?」
「違う。バーゴン」
彼女は迷うことなくそう答えた。もちろん彼もバーゴンの人気ぶりは知ってはいたのだが、目の前のかわいい女の子が、佐々木孫悟空演ずるバーゴンにそうも魅せられていることがなお実感できないでいた。
四日目ともなると疲れが溜まってきて、中だるみする。それでも演者たちは、この地で求められている自分を十分に理解して、スムーズに演目をこなしていく。
中でもバーゴンには迷いがなかった。サルのような動きや声が笑いを呼び、ムシを食べること、その時の表情が観客を驚愕させる。
不安だらけだった見世物への参加を心から楽しみ始め、佐々木孫悟空ではなく、バーゴンではあっても、自分の芸がこうも受け入れられたことで、芸人として自分がやってきたことがすべて肯定されたような気さえしていた。
数年前、孫悟空が虫食いを芸にし始めたことで、彼の拠点であった西口プロレスではその芸を封じられた。もとはと言えば、西口プロレスは、佐々木孫悟空が社長だったにもかかわらず。
その特異さのために、彼と同じ舞台に立つことを敬遠する芸人たちもいた。会場の空気を一変させてしまうので、そのあと何をしようとも、どこかに行ったままの客たちを引き戻すのが難しいのである。
そういうやりにくさだけじゃなく、「あれは芸じゃないよ」と揶揄する声も聞こえてきた。テレビからも声はかからない。ラジオに出たことはあるが、ラジオで虫を食べてもリスナーには伝わりにくい。
一部の熱心なファンはついてくれていても、また、「尊敬している」と言うオッサンはいても(ワシだ)、マイナー芸人、カルト芸人というレッテルをつけられ、その範囲でしか自分はやっていけないのだろうかと苦悶した。
YouTubeで佐々木孫悟空の虫食い芸に熱狂している子どもたちが全国にいて、時に声をかけられることまであるのだが、子どもたちは金を出してイベントに来てはくれない。DVDも子どもが買うには高すぎる。子どもを対象にした夏休みのイベントに呼んでくれれば受けることは間違いないのだが、主催は大人である。「なにより子どもに受けることをやる」と決意して、リスクをとる大人はいない。
ところが、佐々木孫悟空なんて名前をまったく知らない一般の人たちが集まるこの見世物小屋で、彼の芸は多くの人たちを魅了したのだ。孫悟空を毛嫌いし、芸じゃないと否定した芸人たちのいったい誰が、見世物小屋でこれほどまでの人気を得ることができるだろうか。
孫悟空が自信を得たのは何より客の反応であり、絶妙なバランスで成立している彼の芸が、ここではよく活きる。若者たちたちがバーゴンの真似をして、「ウホウホ」と言いながら笑っている。その客が翌日にまた来ている。数時間後にまたやってくる客さえいる。
その象徴になっていたのが例の女の子だった。何度見ても彼女は飽きる様子がないのだ。
※新宿ロフトプラスワンで、ユムシを食う佐々木孫悟空
月花はその女の子をステージの上から見つけて、こんな呼びかけをしてみた。
「この中で、バーゴンをもう見た人はいるかな」
何人かが手を挙げた。女の子もその一人だ。
「毎日見ている人はいるかな」
女の子はただ一人そのまま手を挙げ続けている。やはり初日から来ていたらしい。
そしてバーゴンの登場。女の子は目をキラキラさせて、バーゴンの一挙手一投足を見つめている。
いつものように、「箸が使える人?」と呼びかけた。多くの場合は誰も手を挙げないのだが、この時は手を挙げたのがいた。例の女の子だった。
「お名前はなんて言うのかな?」
「保奈美」
「保奈美ちゃんはミミズは平気?」
「うん、平気だよ」
(残り 1123文字/全文: 3008文字)
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