吉岡彌生は公職追放されたけれども—女言葉の一世紀 142(松沢呉一)-3,795文字-
「ナチスの国家社会主義女性同盟を礼讃した吉岡彌生—女言葉の一世紀 141」 の続きです。
ドイツ万歳、ナチス万歳
米国とドイツを比較した以下の文章を見ても、米国流を排除して、ドイツ流を推奨する吉岡彌生の姿勢がよく出ています。
日本の文化は欧米から取り入れたと一言にいひますが、それは学問とか工業とかいふ方面には欧州のものが多いやうです。しかし外形を真似たのは米国が多いと思はれます。ことに婦人は米国のものを真似て米国に依頼することが多かったやうです。日本では高等教育が思ふやうに受けられないために、米国について学んだことが多く、その学んだ人たちが、指導者の立場に立ちました—ミッションスクールが多いのですが—さうしたところに学ぶ人は不知不識(知らず知らず)の間に米国を崇拝したり、依頼したりする人が多く、大正から昭和の始めにかけて、ややもすれば日本精神さへ忘れかけた有様でしたが、満州事変の始まった頃から少しずつそれがなほりかけた様な感もします。(略)
それまではよいが、皮相な観をもって映画女優などの真似までするやうになりました。かうした風俗などから、個人主義の思想までが過ってはいるやうになり日本の道徳をわすれかけた時、引き続いて起った満州、支那両事変は一面からいへば日本を思想的にすくったことにもなります。私は先年アメリカに行って次にドイツにわたりました。その時感じたことはあまりに両国のひらきが大きかったことです。アメリカは享楽の国であるし、ドイツは国家の興隆のためには衣服は強く食物は栄養を本位としてゐます。皆手縫いの着物でマーケットに行って婦人が買出をやってゐます。装飾がなさすぎるといふ風態であるが、きちんとしてゐて、どうしたら安くて栄養のあるものがとれるかを、第一に考へてゐるやうでした。これは日本婦人の考へなければならないいい実例だと思ひます。
ここでの「依頼」は「依頼心」の「依頼」、つまり「依存」の意味です。
この文章は「最低限度に生活をさげよ—東亜の盟主としての努力」と題されていて、節約をしようと呼び掛けることが主題なのですが、その前半でドイツの質素な生活ぶりを讃えています。
そもそも日本のミッションスクールは米国系ではなく、欧州系が強かったのではないかとも思うのですが、この時代には「米国のものは貶す」というお約束であります。個人主義だってヨーロッパから入ってきたものが多かったでしょうけど、それも「悪いものはすべて英米、とくにアメリカ」というお約束。
前回見たように、吉岡彌生も参加した、嘉悦孝子呼びかけによる「花の日会」もアメリカの真似だったんですけどね。
戦争で生き生きとしていた吉岡彌生
日本が米国に宣戦布告した時はさぞかし吉岡彌生は嬉しかったことでしょう。
これは決して比喩でも皮肉でもなく、吉岡彌生は戦争におかげで自身の信念にお墨付きをもらえて喜んでいました。
仁・義・礼・智・信の五つのものを兼備してこそ、人ははじめて人としての真価を発揮することが出来るのであります。
ところが、欧米文化が盛んに摂取されるやうになって、識見が広められ更に高められた反面、我も人なり、彼も人なりのデモクラシーの思想をはきちがへて、日本精神を破壊するやうな思想や行動が至る処に、特に若い人々の間に見られるのは誠に遺憾に存じます。
長上(めうえ)に対する礼ほ弁へず、子が自らの新知識を振りまはして親の無教育を侮ったり、一家の中で家長と他の家族とが互ひに権利義務を忘れて相争ふなどはもっての外のことと思ひます。然し日支事変を契機として畏くも一天万乗(いってんばんじょう)の君を戴く国体の有難さが、新たな感激をもって国民全般に深く感銘され、我国特有の家族制度の新たな建設に向って、協力一致して立直る傾向となって来たのは喜びに堪へない次第です。
「一天万乗の君」は天皇のこと。「日本精神を破壊するやうな思想や行動」というのはおもに個人主義でありましょう。
これもすでに確認したように、吉岡彌生は欧米思想の影響を受けて医者を目指し、親に反発をして勉強をし続けたのですけど、それはなかったことになっているみたいです。
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