松沢呉一のビバノン・ライフ

アート表現も抗議方法も報道も奪う日本の公然わいせつ罪—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[3]-(松沢呉一)

盗撮よりエロ中継の方が悪質なはずがあるか?—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[2]」の続きです。

 

 

 

法改正か、法改正ではなく適切に対処できるのが望ましいのか

 

vivanon_sentenceどうせネタを消費したら、すぐさま「はい、次」になって少しも議論が前に進まないままになってしまい、数年後に同じようなことが起きたら、また一瞬騒いでおしまいになるのが目に見えているので、予定をちょっと変更して、先に、この問題の難しさを書いておくことにしました。一部の人でいいので、「一時の話題」として消費すべきことではないってことに気づいて欲しい。

刑法174条(公然わいせつ)については法改正し、刑法175条(わいせつ物頒布等)については廃止すればいいと私は思っているのですが、公然わいせつについてどう法改正するかについては大いに議論があるだろうと思います。そこにさえまだ至れていないのが現実でしょう。

これは海外のケースが手本になったりならなかったりします。ナチュリズムの裸を考えるとわかりやすい。国によって法はさまざまで。日本と同じような法律がありながら、ナチュリストの裸については適用されない国もあります。

日本の刑法174条は以下。

 

(公然わいせつ)

第174条
公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

 

 

どこにも「公然とチンコやマンコを出してはいけない」なんて書いていないわけで、「わいせつな行為」ではない全裸だったら、渋谷や新宿で晒してもいいのです。現にナチュリズムが盛んな国では、日本と同様の法律があっても、公園や海岸で全裸になっても捕まらない。裸自体がわいせつなのではないと認識されているからです。

あるいはアートいう文脈や抗議という文脈で全裸になっても捕まらない。これは「その伝統があるから」というよりも、どちらも表現の自由として守られるべきもっとも重要なジャンルですから、警察が踏み込まないケースが多いのだろうと推測しています。

 

以下に出てくるスペンサー・チュニック(Spencer Tunick)のサイトより

 

 

Facebookに対する全裸抗議

 

vivanon_sentenceたとえば最近ではこういう行動がありました。

 

2019年6月3日付AFPBBニュース」より

 

 

この記事を見て「なぜ女性の乳首画像は規制対象?」という疑問とともに、「なぜ日本ではこういう抗議ができないのか」「なぜ米国ではこれが可能で、報道できるのか」という疑問にぶち当たらないではいられないはずです。ぶち当ってないとしたらぶち当たるまで考え込んでください。

 

 

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