テレビから歴史が消えていく—メディアをめぐる不可解な現実[2]-(松沢呉一)
「確実に視聴率が落ちる映像—メディアをめぐる不可解な現実[1]」の続きです。
今回も私の記憶で書いているので、テレビ局員の話は必ずしも正確ではありません。
テレビ視聴環境の変化とモノクロ映像の忌避
資料映像を使うと視聴率が落ちる。このような行動を誘引するのは、前回見たように、まずは画質の問題です。
「ビバノン」でも、モノクロのサムネイルにすると歴然とクリックする人が減りますが、「色が派手なサムネイルをクリックしよう」と意識している人はまずおらず、派手な色合いのものが自然と目に入ってきてクリックする。同じように、画面がモノクロになると無意識にテレビを切るか、チャンネルを替えてしまう。
ここに出した図版は、日本新聞協会のサイトから、出版社の新聞広告をピックアップしたものです。新聞広告は、モノクロよりもカラーの方がずっと注目され、記憶にも残ることが実験でも明らかにされています。「だから、カラー広告を」というのが広告営業の常套句です。
この時に、小さな画面になればなるほどカラーとモノクロの差が出ます。モノクロは色という判断基準がない分、何かわからなくなりやすい。だから飛ばされる。小さな画面でテレビを観る人の方がモノクロ画面を嫌うのです。
昨日、電車の中で、タブレットでアニメを観ながら、スマホでゲームをやっている若いヤツがいて、どんだけ器用かと感心しました。色がはっきりしているアニメやゲームならいいでしょうけど、小さな画面でモノクロの映画を観る場合は集中しないとわかりにくく、画面に集中するとゲームができなくなってしまいます。
「去年マリエンバートで」も「灰とダイヤモンド」も電車の中で観る人はまずいない。昨今、古い映画のカラライズが進んでいることへの批判もありますが、色をつけないと観ないんですから、しゃあないわ。
歴史番組は消えつつある
もうひとつあり得るのは時間軸かもしれない。資料映像はその瞬間時間軸を移動します。言葉ならまだしも、画面が時間軸を移動するのがダメなのではなかろうか。これもそう意識されるのではなく、「なんかかったるい」といったところ。
「日本報道検証機構の解散と週刊金曜日の参考資料不掲載問題について(上)」に「引用だらけの本は読みづらいことがあります。とくに古い時代の文章は飛ばされがち」と書きました。それと同じようなものです。
それまで頭の5割を使って読んでいたのに、旧仮名遣いの文章を読み慣れていないと、頭の8割を使わないと理解できないので、飛ばしてしまいます。旧仮名遣いに慣れていても、最初からずっと旧仮名遣いの本を読み続けることに比して、現在の文章の中で、モードの切り替えは面倒なのです。私自身、そう感じることがあります。
モノクロ映像のわかりにくさだけでなく、時間軸を移動することが原因であることを推察させる根拠として、歴史番組自体が難しい時代になっている事実が挙げられます。
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