松沢呉一のビバノン・ライフ

浅知恵の婦人議員が消した婦人という言葉—主婦の歴史・婦人の歴史[下]-(松沢呉一)

「婦人」という言葉に高級感がある理由—主婦の歴史・婦人の歴史[中]」の続きです。

 

 

 

「婦人」は淑女の意味

 

vivanon_sentence前回見たように、「主婦」に対して、よりハイソなイメージの言葉が「婦人」です。ぬかみそ臭さがない。つまりは労働をしない女です。

女学校を出て金のある男と結婚し、家事は下女にやらせ、余裕が出来た部分で雑誌のひとつふたつ購読するような層です。

英語やフランス語の「マダム」は、売春宿の主という用法は例外として、未婚、既婚を問わず、位の高い女に向けて使用されるものです。「マダム」ほどの敬称的用語ではないとしても、やはり位の高い女に使用されるのが「レディ」です。淑女の意味。この訳語として「淑女」とともに使用されたのが「婦人」でした。

ベーベルの『婦人論』の原題は「Die Frau und der Sozialismus」です。frauも若干敬意の入った言葉だと思いますが、広く女を意味します。今なら、日本語での「女性」に該当しましょう。「女性論」です。「女論」でもいいのですが、「女」だけで使用すると、現在の日本語ではいくぶん乱暴に聞こえます。「論」がつく場合はいいとして、また、「男」はいいとして、「女」だと乱暴だとされてしまうのが私はおかしいと思っていて、「男」に対応するのは「女」ですから、「男」「女」を意識的に対で使用しています。

有島武郎の『或る女』でも「婦人」は数カ所に出てきます。主人公の葉子に対して「婦人」を使用しているところもあります。十九歳でも「婦人」です。また、「貴婦人」という言葉もあって、「婦人」は「貴婦人」ほどではないにせよ、上品さを背景にしているのだと思われます。

新吉原女子保健組合は戦後ですから、すでにそのニュアンスに変化が起きていた可能性もありつつ、機関誌に「婦人新風」とつけたのは、蔑視されるがために、それに対抗する上品な言葉を使うってことだったのではないかと推測しています。どうしても今見ると、既婚者イメージが出てしまいますけどね。

※「婦人之友」の表紙は古本屋さんから借りました。

 

 

「婦」の字源と意味の変化

 

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教養があり、経済的余裕があることを込めた「いい言葉」であった「婦人」ですが、今は使われなくなってきています。それだけではないでしょうが、ひとつのきっかけになったのはフェミニストの浅知恵です。「婦」という漢字は差別的だと言い出した「婦人」議員がいたのです。都議会議員だった三井マリ子って人です。

ウィキペディアにこう説明されています。

 

大正デモクラシーの時期、婦人という語は、普通選挙権要求運動とも連動し、斬新な響きを持った。「婦人公論」に代表されるように、「意識の高い成人女性」との響きさえあった。(略)

婦人という語感が、「年輩女性」「既婚女性」との意味合いを持つようになり、次第に使われなくなった。

男権優位的な言葉である夫人(これは既婚女性のみを指す)の代替語として使われたこともあったが、やがてフェミニズム論者に「婦」の字は「女」に「帚」であり、女性差別的な表現であるために使わない方がよいと指摘されたことも、使用が減ってきた原因の一つである。しかし「婦」の字の「箒」は清掃の道具ではなく、祭壇を掃き清める道具であると漢字学で解釈されているので、安易な言葉狩りであるとも言われている。

現代の日本語においてより一般化した呼称が「女性」である。「婦人」の語はやや古めかしいイメージを持つ古語になりつつある。

 

すでに述べたように、大正デモクラシーの時代に急にそうなったわけではなくて、明治初期でも「婦人」は翻訳語として、ハイソなイメージの言葉として多用されていたわけですが、婦人運動の高まりとともに「教養のある女」「意識の高い女」という側面が強化されたと言えそうです。

いやらしさもありつつ、誇っていい経緯のある言葉です。なのに、他にやることがなかったのか、言葉狩りの対象とされました。この当時、それなりの反発が出ていたと記憶しますが、公的な用語としては「婦人」は使われなくなり、「婦人参政権」は「女性参政権」と言い換えられるようになります・

私はこれに対抗すべく、実際にそう言われていた時代については、敬意を込めて、「婦人運動」「婦人参政権」という言葉を使うようにしています。

※「婦人之友」大正15年12月号。こちらから借りました。

 

 

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