禁酒法が女の飲酒を促進した!!—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 6]-(松沢呉一)
「禁酒運動は女の飲酒をとくに忌み嫌う—矯風会がフェミニズムに見える人たちへ[禁酒編 6]」の続きです。
酒を飲む女たち
禁酒派の思惑を見事に粉砕したのがフラッパー(flapper)たちです。
「ビバノン」ではこれまでにもフラッパーについて取り上げてきました。1920年代、英米で、また、ヨーロッパの各地でフラッパーが登場し、日本ではモダンガールとしてフラッパーの時代を迎えます。
では、フラッパーがどういう存在だったのかを改めて確認しましょう。
世界大戦の狭間で生まれた世界的なフラッパー・ムーブメントの背景はさまざまに指摘されていて、こちらのサイトでは12の要因を挙げていて、ひとつめは第一次世界大戦、ふたつめにスペイン風邪を挙げています。
たしかに先日も書いたように、今回のコロナ禍においても多数の人は後ろ向きになって保守化しています。一方ではその反動とも言える冒険に踏み出す人たちがいます。自棄とも言えるし、解放感が原動力になったとも言えるし。
しかし、フラッパーを可能にしたのは、なんと言っても第一次世界大戦を契機に、女たちが社会進出をして自立の道が開けたことが大きい。日本でも「〜ガール」として新しい職業が次々と出てきたことは前に見た通り。
オシャレな格好であったことが強調されがちですが、見逃してはいけないのは彼女たちは不良、あばずれという見方をされていた点です。新しいものが好きで、冒険心に満ち、今まで女がやってはいけないと言われていたことを堂々とやってのけました。
それまでのくるぶしまで隠れる長いスカートではなく、膝が出そうな短いスカートがトレードマークです。コルセットもつけない。また、女らしさのシンボルだった長い髪を短くカットし、優雅とされていたつばの広い帽子ではなく、つばの小さい、あるいはない帽子をかぶる(長めのスカートもいたし、つばの大きい帽子をかぶるのもいましたが、典型的なのはここにある写真のようなスタイルです)。
前出のサイトには自動車の普及も挙げられています。それまでの裾の長いドレス、大きなつばの帽子は邪魔です。必然的にフラッパースタイルが求められます。行動的、活動的であらんとする女たちの事情に合わせたファッションでした。
フラッパーたちはそれまで女が吸わなかったタバコを吸い、酒を飲み、チャールストンを踊りました。
経済的自立によって、これまで女には許されなかった自由を獲得したのがフラッパーです。
※How could you not like gals who dance the Charleston on building edges? フラッパーのイメージを見事に写真にしたと言えます。着色しました。
サフラジェットからフラッパーへ
白眼視されても、彼女らは主体を発見しました。これは「私」を発見したということです。この発見に至る前史があります。
前出のサイトでは婦人参政権を背景のひとつとして挙げています。英国では1918年、米国では1920年に婦人参政権実現です。それらの国々では婦人参政権と同等に、あるいはそれ以上に婦人参政権を求めるサフラジェットの活動が大きかったのではなかろうか。
サフラジェットは旧世代の正装をしてます。コルセットのついたドレスです。あれはサフラジェットのドレスコードだったのですけど、あんな格好をしながらデモをするわ、警官にぶつかっていくわ、放火するわ、獄中闘争をするわで、それまでの望ましき女たちのイメージをぶち壊しました。だから嫌われました。
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